あたろーの日記
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2003年02月28日(金) 夜の遠足

 つっかれたぁ〜。
 
 今日は天気が良くて金曜でもあることだし、仕事が終わってから、職場から自宅まで歩いて帰ってきました。
 いつも地下鉄だから、たまには地上を歩きたいよね。
 港区青山から新宿を通って杉並区へ。
 途中ちと道に迷いながらも、3時間かけてなんとか自宅につきました。
 最後は駅前の焼き鳥屋でしめました。

 とにかく疲れて眠い眠い眠い。
 今夜はもう寝ます。
 久しぶりにぐっすり眠れそう。。


2003年02月27日(木) 「クリーチャー」

 職場で送別会があって、ほぼ2ヶ月ぶりに日本酒を飲みました。
 今年に入ってほとんど風邪引いていたので、お酒と言ってもせいぜいビールしか飲んでなかった。やっぱ鍋と日本酒は美味しいですねー。
 
 1972年に打ち上げられた宇宙探査機「パイオニア10号」が、とうとう地球との交信を絶ったとのこと。
 小学生の頃、学研の「科学」と「学習」を読んでいたので、あ、あの人類の絵を刻んだ金属板を乗せた探査機かぁ、と懐かしく思い出したのでした。
 まだ飛んでいたんだー。
 しかも地球から120億キロも離れていてもちゃんと交信していたんだなんて、凄いですね。72年というと、私が3歳の時。私が成長して今に至るまで、パイオニア10号もずっと地球から離れる旅を続けていたのだと思うと、不思議。
 パイオニア10号は地球外生命との接触を期待して、人間の男女と地球の位置を示す図を刻んだ金属板を乗せている。子供の頃それを知って、もし悪い宇宙人がそれを見て地球を侵略してきたらどうするんだろうと本気で心配した。ちょうど図書館でH.G.ウェルズの「宇宙戦争」を借りて読んだ時期と重なっていたので。
 悪い宇宙人で思い出すのは映画「エイリアン」(1979年、リドリー・スコット監督)。
 H.R.ギーガー(ちなみにギーガーがイラストを描いたタロットカードまであります)の芸術的で哲学的な造形美の、凶暴で残忍で頭のいい地球外生命。初めて映画「エイリアン」を観た時の衝撃は忘れられません。こんなのがパイオニア10号の金属板を見てやってきたらどうするんだ〜なんて本気で心配しました(^^;)。
 高校生の時、テレビで「クリーチャー」(1985年)という映画を観ました。
 ウィリアム・マローン監督のデビュー作ですが、当時はホラー映画の若手鬼才の作品ということで、どうしても観たくて、深夜の放映に合わせてがんばって起きてて、家族の寝静まったあと、居間のテレビの前に柴犬のコロを連れてきて一緒に観てもらった覚えがあります。
 ありゃホントに怖かったです。
 どうみても「エイリアン」のパクリじゃないかという場面もあるのですが、メジャーデビューを果たした「エイリアン」よりおどろおどろしくて、ダークな色合いです。ストーリー展開がみえみえなんだけど、ショッキング度は「エイリアン」より高いような気がしました。今出ているビデオやDVDのジャケットは「エイリアン」そっくりのエイリアンが載せてありますが、私が覚えているのは本物のエイリアンじゃなくて、どんどん変容していく乗組員のほう。。バッと振り向いたときの皮が剥がれて血まみれの顔とか。。さらには、怪優クラウス・キンスキー(故人、ナスターシャ・キンスキーのお父さん)が出演というのも話題でしたが、この方の存在も怖さを倍増させていました。宇宙船という閉ざされた空間。乗組員の中で、誰がエイリアンに身体を乗っ取られているか分からない恐怖。観ている側の人間心理は「遊星からの物体X」(1982年、ジョン・カーペンター監督)のそれと共通するものがあります。そこに「エイリアン」のもつイメージ世界を重ねて出来たのがマローン監督の「クリーチャー」かな、っていう気がするのですが。。
 「B級SFホラー」とも言われてますが、私としてはおすすめの怖い映画です。。
 


2003年02月26日(水) スズキさん

 3人官女でイタリアン食べてきました。
 美味しかった。
 乙女の話と馬鹿話。
 おもしかった。
 コース料理で、前菜とパスタとメインディッシュとデザートをいくつかの中から自分で選ぶのだけど、どれも長くてポエジーな名前なので覚えられない。で、注文したとたんに自分が何を頼んだかも忘れてしまう。当然料理が出てきて食べている間も、今食べているのがどんな料理なのかも思い出せない。たとえばこの魚はスズキなんだけど、スズキさんをどういうソースで味付けしてあるのか、この周りのむにゅむにゅしたものはなんなのか、この一皿のテーマは「田舎風」であるのかはたまた「シチリア風」であるのか「ロンバルディア風」なのか、すっかり忘れている。デザートも、大きなお皿に石庭風にぽつんぽつんとメインが置いてあって、周囲を波を描くように綺麗に色とりどりのソースが踊っているんだけど、シェフの方には申し訳ないけど、フォークでカリカリ片っ端から引っかいてチョコレートソース寄せ集めてべろべろ舐める。
 でも満足した。
 何度も言うようだけど、美味しかった。

 ところで今日はとても眠かった。
 眠くて眠くて、まだ春じゃないのに、私はすでに春眠暁を覚えず状態でした。
 眠気覚ましガムの包み紙に、人間は人生80年としてそのうちの23年間は眠っている、というようなことが書かれてあって、うーんと唸ってしまった。
 うーん。
 23年間あったら、何ができる??
 そんなに眠るのはもったいないなあ。。
 やっぱり1日24時間は足りない。 
 せめて30時間欲しい。
 

 


2003年02月25日(火) こっくりさんとキューピットさん

 朝アパートを飛び出ていつもの道を走っていたら、いつも会う小学生の男の子二人組を追い越した際、後ろから「かわいい〜」と声がかかった。
 お。
 おお♪
 
 。。。まさか走り方がじゃないだろうね??

 
 昨日ホラー映画観た関係でまたそんな話。
 
 イマドキの女の子達もやってるんでしょうか??
 こっくりさんとキューピットさん。
 白い紙に五十音の文字と数字と「はい」「いいえ」を書いて、10円玉を紙に乗せて、友達と向き合って互いの人差し指をひとつの10円玉の上に置いて、いろいろ質問して10円玉がその質問に答える形ですっすっと紙の上の文字や数字をなぞるという遊び(?)。
 
 今思うと、よくあんな怖い遊びやってたなあ、と身震いがします(^^;)。
 あれははっきり言って交霊術ですよね。わざとどっちかが動かしてるんだとか、深層心理が動かしているんだどかいう意見もありますが、実際やってみると、指を軽く乗せているだけなのに10円玉が何かに押されるように突然すーっすーっと紙の上を滑り出して、みるみる間に日本語になっていくのはまったく予想がつかない。最初は「動いた!」なんてコーフンしてちょっと怖がったりしてますが、そこは女子中学生高校生。すぐに恋愛関係の質問して一喜一憂して夢中になってしまうんですが。。
 やっぱりあれは怖いです。私にはもうできません。。
 中学生、高校生の頃、友達と一緒に、友達の家で、自宅で、はたまた放課後の教室で何回かやりました。 
 やってるときは「ふーん」程度にしか思ってなかったのですが、入学した大学名も、20代で付き合った男の人の名字も、何年も前に放課後の教室でキューピットさんに教えてもらったものと全く同じ(汗)。その時は進学する意思も、ましてや東京の大学に進むなんてことも考えたことなかったし、男の人の名前もとある歌手の名前と一緒なのでそれで笑った程度であまり深く考えなかったのですが。。。あとでふと思い出して、「そういえばあの時言われたとおりになってる。。」とちょっとぞっとしましたです。
 もっと怖いこともありました。
 放課後、教室でやっていたら、なかなかキューピットさんがその場から立ち去ってくれなくなって、ついにはその場にいない友達の名前と、「ち」という文字のところに何度も10円玉を持っていくのです。その場にいたみんなが青くなりました。
 翌朝その友達が元気に教室に入ってきたときはほっとしましたが、ふと彼女の指を見ると、絆創膏が貼ってある。おそるおそる聞いてみたら、昨日自宅でふとしたはずみで指を怪我して血がでてしまったので絆創膏を貼ったとのこと。怪我した時間を尋ねたら、それがちょうど私達が教室でキューピットさんをやっている時だったのですね。。
 それ以来、私はこっくりさんもキューピットさんもやりません。 
 あれは絶対面白半分にやるような遊びではありません。
 よくあんなオソロシイことをやっていたものだと、我ながらぞっとします。自分の経験から霊魂肯定派ですが、ふざけたり面白がって接触を試みると、とんでもない目に合うんじゃないかと思います(><;)
 


2003年02月24日(月) ダークネス

 くじ運の悪い私が珍しく映画の試写会のチケットを当てたので、会社の同僚と仕事帰りに観に行きました。
 
 ぺちゃくちゃおしゃべりしながら地下鉄の乗り換え階段を下りていく。
 ホームには電車が止まっていて、今にも発車しそう。
 急いで駆け込めばなんとか飛び乗れそうなんだけど、ま、電車は次から次へと来るわけだし、そんなに慌てなくてもいっか。
 と思いながらホームに足を踏み入れ、先のほうへ歩いていく。
 が。
 そこが年齢の差なのか。それとも次女と長女の違いなのか。はたまた育ちの違いなのか。あ、いや、体重の差なのか。
 一緒に歩いていたはずの彼女は、階段を下りるや否や、だだだっと手前のドアに飛び乗って行った。
 呆然と見守る私。ドアに飛び込みながらも、目の端で私がまだホームにいることを確認した彼女が、体当たりの作戦に打って出た。
 肘はさみドア開け。
 いったん閉まりかけた電車のドアは、彼女の肘鉄によって再び開放され、一瞬ではあったが、彼女は遅れし者達の救い主となった。
 私にはしかし、開かれたそのドアに飛び込む勇気がなかった。
 昨年9月にやらかした「ドア体当たり事件」のトラウマが、私の足を引きとめた。
 電車は動き出し、ホームで諦めの境地で手を振る私と、電車の中からまん丸の目で何かを訴えるようにこちらを見る彼女の視線が絡み合った。。。
 
 まあ、都会の地下鉄は電車は2〜3分おきにきますのでそのあとすぐめぐり合えたんですけど、これが田舎のほうだと大変です。
 次の電車の来るのが40分後とか、ざらですもん、私の田舎とか。
 はは。ははははは。
 
 「ダークネス」、怖かったですよ。
 まだ公開前なのであんまり話せませんが。
 系統としては、「ペンタグラム」(ルー・ダイヤモンド・フィリップス主演、1990年)や「ロストソウルズ」(ウィノナ・ライダー主演、2000年)に通じるものがありました。ゴシック的なオカルトホラーが好きな人にはおすすめです。
 観終わって会場出たら、すっごく寒くて震えちゃいました。
 東京は今日雪が降って、夕方には雨になったんですが、「ダークネス」観たらなおさら寒くなっちゃった。
 
 


2003年02月23日(日) 殺されてしまったお姉さんのこと。火事の記憶。

 子供の頃、うんと小さい頃、住んでいるアパートが火事になり炎の迫ってくる廊下を必死で逃げるという夢を見たことがあって、その夢を見たのが何歳くらいの時かは覚えていないのだけど、炎の色とかがやけに鮮明に記憶に残って大人になってもずっと頭から離れなかったので、最近になって帰省したとき、母に、子供の頃火事に合ったことはなかったか聞いてみた。
 
 母はちょっと驚いたような顔をして、「ああ・・・」と言いながらしばらく私の顔をまじまじと見ていた。「実はねえ・・・」
 
 母のお腹に2歳下の妹がいた頃とのことだから、おそらく私がまだ1歳半位の時、当時住んでいたアパートの真下の部屋に男が押し入り、1人で留守番をしていた高校生の娘さんの上に馬乗りになり、包丁でメッタ刺しにして命を奪った上に、部屋に放火する事件があった。交際話のもつれから恨みを持った末の犯行だったらしい。
 事件のあったとき、母は私を外で遊ばせて戻ってきたところで、アパートの階段を下りた出口にある水道で私の手足を洗っていたとのこと。母はアパートから出てきた見知らぬ男に気づかなかったとのことだが、後日犯人を伴っての現場検証の時、遠巻きにして様子を伺っていた住民の中に母と私の姿を見つけた犯人が、母を指差して、「あの女の人が自分がアパートから出てきたとき水道で子供の手足を洗っていてその脇を通った」と証言したそうだ。「今思い出すだけでもぞっとする」と、母は言っていた。
 その時の火事は、私の頭の中にあるようなアパートの廊下まで燃える段階にまで至らなかったらしいが、1歳半の私には恐ろしく脅威に思えたのだろう。まさかとは思っていたけれど、あれは夢ではなく、実際の体験による恐怖感からの産物だったのだと知った時、非常なショックを受けた。 
 殺されてしまった娘さんは、その家の一人娘で、とても綺麗で明るい方だったとのこと。「あんた覚えてないかしらねえ、よく一緒に遊んでもらったのよ」と母が教えてくれた。そう言われてみれば、かすかに、ほんとにかすかに、優しいお姉さんに遊んでもらったような記憶がある。顔は覚えていないけれど。。

 実は、ちょっと火が怖かった。
 小学生の理科の実験でガスバーナーやアルコールランプを使うとき、なるべく手を出さないようにしていた。マッチをすれるようになったのは高学年になってから。父に何度も「そうじゃない、こうやるんだ」と教わった記憶がある。ライターはここ2〜3年でようやく上手に使えるようになった。以前は怖がって親指がかすってばかりだった。たしか台所のガスコンロも、小学生の頃は怖がってびくびく使っていた。今は平気だけど。
 消防車のサイレンの音も、身が縮まるような、背中がぞくぞくするような感じがする。これは今でも怖い。
 母から事件の話を聞いて、ようやく納得した。
 今まで、私が聞いてショックを受けると思って黙っていたそうだ。
 ・・・幼い頃の記憶はその後どういう形で影響を及ぼすか分からないものだと思った。
 
 母の話で、火事の記憶については自分の中でひと区切りがついたけど、新たに知った殺されたお姉さんのことが、今度は頭から離れない。
 幼すぎてほとんど記憶にないとはいえ、可愛がってよく遊んでくれたというお姉さん。ご両親は事件の後どこかへ転居されて、その後交流はないとのことだけど。。
 いつかお墓参りができれば。。。と思っているのだけど。。
 
 
 
 
 
 
  


2003年02月22日(土) チョコレート・・・It's only love

 「チョコレート」(マーク・フォスター監督、ハル・ベリー/ビリー・ボブ・ソーントン主演)のDVDを観ました。
 昨年公開された時に映画館で観ておけばよかったなあと思うくらい、良かったです。好きな映画がまた1つ増えました。
 
 たぶん観てない方も多いかと思うので、ストーリーは詳しく書きません。。
 映画は余計な描写や説明は一切ありません。登場人物が雄弁に語ることもない。淡々と静かに物語は進行していきます。
 互いの肉親を失った悲劇を癒すようにして、人種差別主義者の元刑務官ハンクと、ハンクが死刑を執行した死刑囚の妻レティシアが近づいていきます。肌の色も、年齢も、互いの立場も超えて、ただそこに必要なものは愛だけだということに気づいて、それを噛みしめる二人に強い共感を覚えます。
 邦題にもなっているチョコレート。チョコレートのアイスクリームが暗示的。ビターで甘くて冷たくてすっと溶けて、いろんな味を持っている。仕事に対する愛情しか知らないハンクが、1人でしみじみ味わいたいのはそのチョコレートアイスクリーム。ハンクの人生に足りないものは、チョコレートアイスクリームの味。そしておそらくチョコレートの色はレティシアの肌の色。
 男女間も、親子間も、どんな間柄でも、愛がすべて。静かに流れていくストーリーの中で、二人は愛を見出して再生していきます。
 
 観終わってから、シンプリー・レッドの「A New Frame」というアルバムを聴いています。1曲めの「It's only love」リピートにして。

 人が生きていく上で一番大切で欠くことのできないもの。
 それが存在しないのなら、他の現象はすべてみな幻想でしかなくなってしまうもの。
 そしてたぶん、私が生きていく理由。
 それが、愛、なんだろうと思います。
 
 あまりにも簡単に語られすぎて、あまりにもいろんな形がありすぎて、あまりにも当たり前なために真剣に考えることから遠ざけられているけれど。
 あらたまって口にするのも恥ずかしいような言葉だけれども。
 
 愛にもいろいろあって、男女間の愛もあれば親子の愛もあるし、飼っている犬や猫に対する愛もある。気の合う友人同士や職場の仲間に対する愛情もある。自分と直接かかわり、自分を豊かな気持ちにさせてくれる相手を愛するのはたやすいこと。
 けれど、この世の中に存在するものすべてに対して愛情を持つことは難しい。
 生きとし生けるもの、この世に生を受けたすべてのもの、愛を必要としている生きものすべてに愛を感じることは、とても難しい。
 いきなりスケールの違う話題になってしまってすみません。
 でも、最近、「愛」って実のところいったいなんなんだろうって考えてます。
 愛って見返りを期待するものではないし、相手を縛り付ける道具でもない。出し惜しみするものでもない。どこかで誰かを愛して、どこかで他の人を憎むのなら、それはエゴなだけだと思うし。。
 だったら、愛は、対象を選ばずすべての存在に注ぐべきものではないか、と、思ってしまうのです。。
 人間が生きていく上での共通の糧はただひとつ、愛ではないかとも思うのです。
 
 エラソーなこと書いてますが、実際私は自分の幸せに一番興味があるし、エゴの塊です。自分に愛を注いでくれる人達に愛情を返したり、それ以上に自分を愛することで精一杯。他に余裕はありません。
 だけど、泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだりして生きてきた30余年の人生で少しずつ分かってきたことは、生きている喜びを感じるためには、生きとし生ける存在すべてに対して愛情を抱くことが一番近道なんじゃないかということです。
 話が少し飛躍しすぎかもしれないですね。
 うーん、なんて言ったら誤解しないでもらえるかなあ。。。
 
 例えば、何かつらいことがあったときでも、ふと目の前に咲いている小さな梅の花がいとおしく思えてきて、見ている自分まで梅の花の香りに生命の息吹を感じとることができる瞬間。
 自分以外にも精一杯生きている存在があるということに素直に喜びを感じることができる瞬間。
 
 愛というのは、もしかしたら、この世に存在するあらゆるものを尊重することなのかもしれません。
 
 今の私にはとっても難しい。
 自分の目の前にあることで精一杯だから。
 

 


2003年02月21日(金) 心の空洞。自分の重心。

 ずっと考え続けていて、どうしても自分の中で折り合いのつかないことがあります。
 今の自分の生活がいったいなんのためにあるのかということです。。
 
 朝家を出て電車の時間を気にして時計を見る瞬間、レストランのメニューに迷う瞬間、買い物をする時に所持金が心配になって財布を覗く瞬間、月の生活費に頭を悩ませる瞬間、人と言葉を交わす瞬間、仕事でエクセルの表を作っている瞬間、パソコンや携帯電話の新製品が欲しくなる瞬間、テレビが故障して残念に思う瞬間、買ったばかりの化粧品のパッケージを開ける瞬間、そしてこうして自宅のパソコンの画面を見ながらキーボードを叩いているまさにこの瞬間。。。
 
 今こうして生きている限り、私の毎日はこうしたことの積み重ねと繰り返しで、これらの行為の中で考えたり悩んだり喜んだり悲しんだりしながらいつか死ぬまで自分とその環境に付き合っていくのだろうと思う。
 のほほんとしているように思われている(笑)私でも、やっぱり明日の収入は気になるし、恋愛にだって多少首を突っ込むし、肌が綺麗で若々しくありたいから少しは化粧品にも気を遣うし、体型も気になるし、この先自分が結婚するのか、どんな人と結婚するのかも興味がある。
 でも、考えてみると、それらは私が今この瞬間に日本東京に暮らしているから日々遭遇している感情や思考であって、私が例えば明日の食べ物さえ手に入るか分からないような環境に生きていたら、そんなのんきなことはとうてい考えていないだろうな。
 世の中にはいろんな土地があり、多様な価値観があり、いろんな日常生活があって。。。でも、自分がどこに生まれるかを自分で選ぶことはできない。食べるものがなく、お腹を膨らませて飢え死にする子供達は、私であったかもしれない。電気もなくもちろんインターネットも知らない文明の利器から隔絶された陸の孤島で暮らしているのが、私であったかもしれない。
 そう考えると、今の私の毎日が、とても不確かなものなのだということに気づく。と同時に、不確かなものに囲まれてその恩恵を享受しその環境固有の価値観にとらわれながら生きていくことに、不安を感じてしまうのです。
 どういった生活環境が良いとか悪いとか、どの価値観が優れているとか、そういうことではないのです。教育水準の高さとか、情報量の多さとか、そういったことも大切かもしれないのですが、それらもいろんな環境や立場を比較して生まれる概念であって、やはり不確かで変化していくもののような気がするのです。
 
 不確かなものを剥ぎ取ったところに現れる本当の自分って一体どんな存在なんだろう??
 どのような土地でも、どのような社会の中でも、また無人島でも、私は生きているだろうか?もし生きているとしたら、それを支える私の中の根幹的なものは一体なんだろう?それとも私は今自分のいる環境あっての私でしかないのだろうか?
 そんなことをずっと考えてきました。
 読書量は多くありませんが、いろんな本の中でその答えを探し続けてきました。哲学的なもの、宗教家の書いたものも読んでみました。精神世界や、「ニューエイジ」と呼ばれる分野の本も読みました。
 でも、読めば読むほど分からなくなっていく。
 私の探しているものは、たぶん不可思議な現象などではなく、一部の人にしか分からないような排他的なことではなく、前世での行いが悪かったから現世での生活が悲惨なのだというような流動的な価値観にとらわれた見方でもないのです。ましてや崇高な思想や高度な理念でもなんでもない。
 
 裸足で土の上に足を一歩踏み出した瞬間に足の裏で土の熱を感じる自分は、表面から数えていったい何番目の自分なのだろうと、そんなことを考えてしまうのです。

 頭の片隅にはいつも自分の存在に対する疑問があるのに、毎日は目の前にあるパソコンや携帯や会社やお金や化粧品や洋服や情報や人とのやりとりや美味しい食べ物に常に心を奪われながら生きている。それが楽しくて、つらくて、面白くて、悲しくて、大変で、心躍らせることで、感謝すべきことで、大切なこと。でも、なんだか自分の心の中の芯に、重要なものがカチッとはまっていないような気がしている。
 その、カチッとはまるものを探すことと、今の賑やかな日常生活に追われていくこととは、矛盾するのかしないのか。
 自分がここに生きている本当の理由というものがあるのかないのか。
 毎日こうして生きていて、自分の中で求めていこうとするものと、今現在心を奪われているものとの折り合いがつかないのです。生きているということは、他人と触れ合い、多くを消費し、犠牲を生み、汚していくことと同一であるような気がするから。奇麗ごとばかり言っていては、生きていくことはできないと思うから。

 もしかしたら、最近になって、その「カチッとはまるもの」がどのようなものであるか、おぼろげながら分かってきたかもしれません。
 そのことについて理解が深まるごとに、心の中の空洞の部分が少しずつ満たされていって、自分の重心が定まっていくような気がしています。
 でもまだまだ、私はようやく今、そのことを知り始めたばかりです。。。



2003年02月20日(木) ナマズ女。

 今朝6:20頃、東京で地震があったよね?
 震度1くらい。ネットのニュースにも載ってないから、正確なのは分からないのですが。。
 
 私にはへんちくりんな予知能力があります(笑)。
 てっきりみんなもそうなんだろうと思っていたら、違ったみたい。
 
 東京は地震が多い。
 新潟の実家にいた頃はそんなに頻繁に地震はなかったのですが、東京は私の感覚では地震が多いです。
 上京したての頃は、大学での授業中に小さな地震があっても、机の下に逃げ込んでみんなに笑われた。
 今ではさすがに慣れて、「あー地震だー」くらいにしか思わなくなったけど。
 
 でも他の人より地震に対しては敏感らしいです。
 夜寝ていて、ふと目が覚める。
 。。。まだ朝じゃないじゃん。。
 ここで、頭をずらして時計を見ることができなければ、部屋の中に自分以外の誰かがいる証拠。金縛りに遭っている。。。ぎゃ。そのあとは。。。げっ。
 逆に、時計を見ることができれば、ご訪問を受けているのではなく、他の理由で目が覚めたことになります。
 で、そういう風に起きたときは。
 。。。来るぞ来るぞ来るぞ。。。
 と心の準備をしながら、そばのテーブルに手を伸ばして眼鏡を取り、むっくりと起き上がって、布団の真ん中に体育座りして待ちます。
 低血圧で寝起きはあまりよくないほうですが、こういう時は何故か妙に頭が冴え渡っている。
 と、そこに、ぐらぐらぐら。。。と、地震が来るわけです。
 
 揺れがおさまると、テレビをつけます(今は壊れてるけど)。
 NHKが静止画面から地震速報に切り変わるのを待って、一応震源とか震度とか確認してから、再び布団に横になって眠ります。
 
 あんまり信じて頂けないかもしれませんが、眠っていて地震が起こる1分前から30秒前位になると、必ず目が覚めるのですね。「なんでこんな時間に??」という疑問の次の瞬間、「あっ、地震起きる」っていう予感がすぐにやってきて、逃げの体勢に入るわけです。
 揺れの大きさはあんまり関係ないみたいです。どんなに揺れが小さくても必ず目覚めます。地震速報で、自分の住んでいる区に震度の数字がなくても、「確かにここも揺れたぞー」と呟いてます。さすがにトラックが通り過ぎる前には起きないけど。
 信じてないでしょー。
 でも本当なんだよー。
 翌日職場で「昨夜地震があったよね」「今朝方震度1くらいのがあったよね」と言っても信じてもらえない。ぐぅ。悲し。嘘じゃないんだってばぁ。
 これって特別な能力なんでしょうか??
 そうでもないような気がするんですが。
 
 思うに、これはナマズやねずみや鳥達が地震の前に落ち着かなくなるのと同じだと思うのです。これは自分の考えていることなのですが、地震の起こる前の微妙な磁場の変化を、脳が敏感に察知するのかも知れません。起きているときは地震がこれから起こるなんて予感は働かないので、たぶん、身体が眠っているために他の器官を動かす仕事から開放された脳が、その分研ぎ澄まされているのかも知れません。眠りほうけて無防備になっている身体の諸器官の代わりに、店番をしているのかもしれませんね。思うに、大昔の人間は皆眠っている時に地震予知ができたのではないでしょうか?現代人の脳は忙しすぎて、本来脳の持つ能力を発揮できないまま深い眠りに入ってしまうのではないでしょうか??ちなみに私の脳は、昼間私が起きている時より、夜眠っている時のほうがよく働いてくれるようです。
あーまったくぅ。
 
 将来もし私と生活を共にするという奇遇な方がおりましたら、特典つきですぞ。
 あなたが眠っている間に、地震予知いたします。
 それだけですが。
 
 。。。他に同じような人がいたら教えてください。
  


 


2003年02月19日(水) いんぐりっしゅすぴーきんぐ

 仕事中に電話を取ったら、たどたどしい日本語の外国の方でした。
 内心、「お、日本語ちゃんと喋ってるじゃん」と安心しながら応対してたら、相手がだんだん日本語につまってきたらしく突然、「Can you speak English?」と聞いてきた。(え?そりゃ反則だよ)と思いながらも「No と言えない日本人」の私はいきなり無謀にも何故か「Yes」と答えちゃったものだから、相手は「Oh!」それから嬉しそうに「What is your name?」。で私もこれくらいならへーき、と、「My name is ○○○○」と、調子に乗ってフルネームで答えた。そしたら相手はもっと喜んで、容赦ない英語でべらべら喋り始めたもんだからもうアーウト!「Just a moment please」と偉そうに言って、海外生活の長かった部長に助けを求める。
 なんか今英語勉強する気がない〜(爆)。
 あの決心はいずこへ??
 切羽詰った目的がないと、やっぱだめなのかね〜。


2003年02月18日(火) 今日は長文読解です。。というか長くてすみません

 また京都の話です。
 二日目の早朝、6時過ぎに宿坊を出て知恩院の阿弥陀堂に入り、毎朝お勤めに参加しているという信徒の方々が座布団を敷いて下さった大きな金銅の阿弥陀仏の前にしばらく座っていました。昼間は多くの人が訪れるであろうこの場所に、今は数人の信徒さんと私だけ。まだ外は夜が明けきらない。信徒さんたちはお堂の外に出てなにかいろいろ準備をしているよう。しばらく阿弥陀様と私で二人っきりで対峙する。不思議な空間。朝のひんやりとしたお堂に、ろうそくがともり、阿弥陀様のお顔が薄暗がりの中でぼうっと浮かびあがっています。どうして心がこんなに落ち着くのかな。特別信仰心というものがあるわけではないのに、自然と涙が出てくる。静寂の中で、阿弥陀様に、心の中まですべてを見透かされているような感覚になります。
 そのうち、信徒さん達が戻ってきて、私の前の座布団に座ると、それぞれの前に置かれた木魚をぽこぽこ叩きながら「南無阿弥陀仏」を唱え始めました。一瞬どうしたものか戸惑ったけど、私も真似をします。それに迎えられるようにお坊さん達が7人奥からみえると、阿弥陀様の前に座られました。そのあとは7人のお坊さんと3人の信徒さん、計10人のお経を唱える声がしばらく阿弥陀堂に響きました。「般若心経」以外知らない私はただそれに耳を傾けているだけでしたが、お経を聞くのはとても好き。特に、修行を積んだお坊さんの、あのお腹の底から響くような朗々たる声で唱えるお経は、聞いていてとても気持ちがいいもの。しかも他に訪れる人のいない時間帯の阿弥陀様の目の前です。一生忘れられない経験になるでしょう。
 阿弥陀堂でのお勤めが終わると、次はすぐに御影堂でのお勤めに移ります。お坊さん達も急いで移動。私達もすたすた急ぐ。阿弥陀堂より大きな御影堂に入ると、信徒さん達の数がさらに増えています(あとで聞いた話では「念仏を唱える会」の方々もいらっしゃいました)。その方達のところに座ろうとすると、お坊さんに呼ばれ、一人だけ前のほうの、「回向」と書いてある祭壇(?)の前に座りなさいと言われました。ちょっと、緊張。知恩院の宿坊である「和順会館」の宿泊者は、特別に朝のお勤めで回向をして頂けるのです。でも、正直言うと回向ってどんな風にやるのかよく分からないのでいつ何があるのかどきどきして正座していました。。。阿弥陀堂とはまた違った意味での御影堂での読経の声。さきほどより天井が高く、奥行きも広いお堂で、人数もぐっと増えたため、よく響く、響く。2000人ほどが入れるというこのお堂、中には法然上人の御影や、徳川家康、家光それぞれのご母堂の厨子などが安置されています。お坊さん達がそれらを前にして座ってらっしゃるお堂の前半分が浄土、一般の参拝客、今は信徒の方達が座ってらっしゃる後ろの半分は現世を表わすとのこと。私はお坊さんと同じ浄土の部分に正座していました。。。だんだんしびれが。。今立てと指示されたらみんなの前でよろけてしまう、と思っていたら恐れていたことが。お坊さんが近寄ってきて、「ご焼香をしてください」。う、ど、どうしよう、究極のしびれ。でもなんとか頑張ってご焼香をする。私の実家はたしか浄土真宗だから、佐渡でお葬式があったときに参列者や父母達がやってる方法を思い出してぱっぱと済ませる。。というか、もう緊張しちゃって(^^;)。それを見ていた信徒の方が、あとで正しい焼香のやり方を丁寧に教えてくださった。嬉しかったなあ。
 そのあと指示されて後ろの信徒さん達の場所に移動して座る。歩いているときに、私の本名が読み上げられ、先祖代々を回向してくださる声。なんか、こんな旅人の若造のために、ありがたいと思った。こんな経験は滅多にないよね。
 そして予め用意されていた座布団の前に開いて置いてあった冊子(ほんとはもっと違う名前?)。「その開いてあるページを一緒に読み上げるんだよ」と後ろから教えていただく。その日該当するページが決まっていて、お経ではないんだけど、うーん、なんていうのかな、教訓とか、戒めみたいな内容の文をみんなで朗読する。そしてその後お経。
 なんか心が洗われていくようだ。
 来て良かったと思った。
 
 あ、そうそう、信徒さん、「お経を唱える会」の方の中に、私と同じくらいの年代の方も数名いました。カップルで来てる(この方々も旅行者かな?)もいた。ちょっと、嬉しかった。

 お勤めが終わると、御影堂の一角にある「志納所」という(写経をする机が並んでいる小さな畳の部屋)部屋に皆入っていく。「面白い話だからあんたも聞いていきなさい」と言われ、私もあとからついて行き、入り口の戸の前に座ると、「そんな後ろじゃなくて、一番前に行きなさい」と皆言ってくださるのでお言葉に甘えて一番前へ。火鉢があって、皆膝突き合わすような狭い空間に正座して、法話をしてくださるお坊さんの登場を待つ。正直言って法話はあまり好きでない(笑)。だって、眠くなりそうなんだもん。一番前で居眠りしてしまったらどうしよう、と、ふと不安になる。。
 奥の戸が開いて、お坊さんがお1人みえて、私の目の前に座る。その場にいる人達の顔をぐるっと見回して、私と目が合って、「あれ、今朝はいつもとちょっと違う顔があるぞ」という風に思われたかな。ちょっと恐縮。でも、初めてお顔を拝見した瞬間、なんだかほっとした気分になった。話、面白そう(すみません、ぶしつけで)。
 知恩院では各地の浄土宗のお寺の住職さんが持ち回りで7日間ずつ、朝7時から約1時間法話をされているそうです。聞きたい方は自由に聞いてよいらしいです。
 で、私が法話を聞いた方は、三重県鈴鹿市のお寺の住職さんで、毎年知恩院でこの時期法話を担当されてきて、今年の、その日が、知恩院での法話の担当(輪番というそうです)の最後の最後の日だということでした。
 演題は「法然上人 七大徳」。法然上人の伝記をもとにお話を進めてこられて、私が聞いたのはその最後の日。話の内容は法然上人の最後の日々のことから始まりました。法然上人は、死期に際して、弟子達が、「御廟をどこに建てたらよいか」とたずねたところ、「一廟を建ててしまうと念仏往生の教えを広めようという勢いが失せてしまう」というようなことをおっしゃったそうです。1ヶ所に立派なものをこしらえて満足するよりも、弟子達の一人一人が歩き回って、念仏往生の教えを民衆に広めよ、という考えの方だったんですね。
 そういうお話をしばらくされて、ふと、住職さんが、「私ごとなのですが」と、ご自分の話を始められました。
 住職さんは、今年の11月末で鈴鹿のお寺を次の方に引き継いでもらい、ご自分は小笠原諸島の父島、母島へ移り住むのだそうです。父島母島は東京都でありながら、竹芝桟橋からフェリーで30時間(!)、しかも船も毎日運航しているわけではなく、数日おきとのこと!ヨーロッパに行くより時間がかかるのだそうですが、そこに2000人ほどの住民がいらっしゃるそう。けれど、教会は1軒あっても、お寺はまったくない。で、人が亡くなるとどうするかというと、葬儀で司会が合図して、ラジカセからカセットに吹き込んだお経を流すそうです。だから、住職さんが、島に住む知人に「島に来る気はないか」と言われたそうです。それで、「よし、じゃあ行こう」と答えて、話が進んで今年の年末には移り住む予定とのこと。今いる三重のお寺、檀家さんたち、恵まれた環境にはなんの不満もないけれど、陸から離れた孤島に念仏の声をあげに行くのは自分に与えられた役目ではないか、自分に声がかかったのは、お前が行ってそれをやれ、という意味なのではないか、と思ったそうです。突然決まった話だし、もちろん、お寺を建てるどころか、住む場所さえもメドはないそう。でも、あのあたりではトレーラーハウスがよく転がっているから、しばらくはそういうのの1つを探して住んで、場合によってはそれをお寺にしようと思うとも。お連れ合いを亡くされているので、自分の身一つで島に渡って、まあなんとかなるさ、やってみようではないか、と。いったん島に渡ったら、よほどのことがない限り、島を離れるわけにはいかないから、もう知恩院での輪番はできないそうです。だから今日が最後の最後の日であると。自分はよく変わり者だと言われるが、今度は馬鹿者だと言われます、と笑顔で話されていました。
 住職さんの話にどんどん引き込まれていって、なんだか目の前がどんどん開けていくような気がしました。お幾つくらいかなあ、50前後でしょうか。もっとお若いかな。でも、年齢など関係ありませんね。何かをやろうという意気込みを感じさせる人には齢(よわい)の圧力など無関係なのかもしれません。とても目に力のある方です。なんて綺麗な目をしているんだろうと素直に感動しました。自分でもこういう気持ちは初めてなんですが、自分が今日ここに来たのは、この方にお会いするためだったんじゃないかって思えてきました。住職さんの最後の最後の輪番の日に、一番前に座らせて頂いてお話を聞いている私。その話の内容が、自分の中の何かを揺さぶって、大事なことを掘り起こしてくれているような気がしました。思えば、無性に京都に行きたくてたまらなくなって、カレンダー見て悩んで、すでに毎月第3日曜は文学サークルの集まりがあるのにそれを休んでもその日に行こうと決めて、知恩院の宿坊を予約した頃から、なんだかどこかで何か別の力が働いていたような気がします。そういうこと、信じない人も多いかもしれないけど、私は信じるって言うか、うーん、ひしひしと感じるタイプだなあ。とにかく、住職さんのお話を聞きながら、私が京都に来たのはこの方のお話をきくためだったのかも、と強く感じました。そして、お寺の全くない島に、自分が念仏の声をあげに行く、という住職さんの心意気に、とても胸が熱くなりました。
 気がついたら手元の手帳に「小笠原」とか「父島母島」と書いていた。
 そして、心の中では、来年絶対行く!と決めていました。
 
 その後、御影堂を後にして、今度は宿坊を出るとき、フロントに挨拶に行くと、その住職さんがフロントの方と立ち話をされてました。
 私を見ると、「さきほどはありがとうございました」と、丁寧な挨拶をしてくださった。お礼を言わねばならないのは私のほうなのにね。でも、私の顔を覚えててくださったのと、目下の者に対しても自分のほうから挨拶してくださったことに恐縮しながらも嬉しくなりました。
 どちらからとたずねられ、「東京からです」と答えると、話は小笠原に。
 住職さんが島に移住されたらトレーラーハウスのお寺(^^)を訪ねていく約束をして、私は宿坊を後にしました。
 なんでだろう、ちょっとお話しただけなんだけど、とても心が落ち着いて、穏やかな気分になりました。
 宗教的な威厳とか、人を圧倒させる力があるとか、そういう威圧感のある方ではありません。でも、自分の思う道に迷わず飛び込んでいこうとする心のありようが、清々しい気がします。住職さんといえども、人間ですからきっとパーフェクトではないでしょう。でも、ひとつの生き方を示してくれる、情熱をもつことの大切さを教えてくれる、そんな方ではないかと思います。
 人生の師、といっても過言ではないかもしれません。
 来年は絶対小笠原に行ってみます。
 調べたら、往復の船代だけで京都を2回旅できる(泣)。
 でも、私にとってはそれだけの価値があると思います。
 
 


2003年02月17日(月) 京都。あったかい出会い。

 ただいま。
 京都から戻ってまいりました(^^)
 いい旅だったなあと、しみじみ思います。

 旅の様子や写真のページをあまり日がたたないうちに作ろうと思います。
 写真日記のページに写真でリアルタイムに旅の様子を載せたのですが、ヤプース写真日記のサイトは混んでいるのか夜なかなか表示されないことがありますね。
 
 旅の話に。
 ほんとに行って来てよかったなぁ。
 心が清々しく、柔らかで温かくなる旅でした。
 
 2日間という短い時間でしたが、我ながら濃密に京都に接したような気がします。
 いろんな方から温かい心遣いを頂きました。
 実は、初日の早朝、京都駅で高速バスを降りて烏丸通りを歩き始めて、初めて私に声をかけたのは、お金を要求する人でした。
 人気のないまだ薄暗い通りを、向こうからキャリーケースを引きずった私と同じくらいの30代らしき男性が来たと思ったら、「あの・・」とすれ違いざまに呼び止められました。「道ですか?」と、地図帳を手にしていた私が答えると、彼は、「これから関空に行って出張して、その後待ち合わせがあるのですが、どうしても手持ちのお金が足りません。可能な額で結構ですので・・・」と言うではないですか。申し訳なさそうに言うんですが、でも、彼の服装はこれから遊びに行くって感じのもこもこダウンジャケットに立派なキャリーケース。どう見たって、ジーンズにポシェットの私より余裕ありそう。そもそも出張して待ち合わせがどうのこうのというのがよく分からない。突然だからましな嘘も思いつかなかったのかな。
 もちろん断りました。
 ちょっとしつこかったけど、はっきり断りました。
 ほんとうにお金がなくて食べるものがないというなら話は別ですが。
 相手にも私のうかがい知れない事情があってのことかもしれませんが、京都に来て最初がこれだったので、そのあととても悲しい気持ちになりました。写真日記ではちょっとはしゃいで烏丸通りを写してましたが、実はこんなことがあったのです(泣)。
 もしかして、今回ここに来たのは間違いだったかなあ、とちょっと落ち込んじゃいました。
 
 でも、最初はこんな感じだったのに、だんだんと、京都に来て良かったーと思えるような温かい出会いが沢山ありましたよ。
 北野天満宮で梅林を撮影していた沢山のアマチュアカメラマンのおじさん達。私が真似して写メールで撮影していると、「それ、いいんだよなあ、俺も欲しいんだけどねー」とか「写してすぐ送れるんでしょ」とか話しかけてきた。へへ、ちょっと自慢げに見せてあげた。
 龍安寺を出て、寝不足や疲労で風邪がぶり返し、乗ったバスでは座席で爆睡。気がつくと車内は満員で私のすぐ脇に80代位のおじいさんが立っている。あわてて立ち上がって席をゆずろうとすると、「いいからあんたが座ってなさい、あんたのほうが大変そうだ」と言って座席に押し戻された。申し訳ありません、お言葉に甘えていつのまにかまた爆睡してしまいました。地元の方っぽかったな。
 宿泊した知恩院の宿坊「和順会館」では、宿泊客はなんと私1人でした!
 修学旅行生も泊まれそうな位大きなところなのに。どうりで、トイレに行っても、お風呂に行っても、見回りのお坊さん以外に人に会わないわけです(笑)。というわけは、私一人のために、大浴場を沸かしたり、朝食を用意したり、館内放送をしてくれたりしたんだ。これって、究極の贅沢ですよね。
 和順会館に宿泊すると、朝5:50(冬は)に起床の館内放送が流れ、6:20にロビーに集合して、知恩院の境内へ朝のお勤めに向かいます。が、私が身支度をして下りていくと、傘を用意してお坊さんがお1人私を待っててくれました。「あれ?もしかして今日は・・・」「はい、昨夜ご宿泊のお客様はお一人です」もーびっくり恐縮。でも、私のためにこうして傘を用意して待っててくださるなんて、ありがたいです。
 和順会館の方々も、みなほんとに親切で、素朴ですが温かいもてなしをしてくださいました。
 知恩院の阿弥陀堂と御影堂での朝のお勤めの際は、毎朝参加しているという信者の方々が、座布団から移動のルートから座る場所、何から何まで皆さん次々に教えてくださって、とても感激。法話を聞くときも、「一番前に出なさい」と押してくださったおばさん。お経の意味が分からず質問すると、「じゃあついでだから他にも教えてあげよう」と言いながら、浄土宗のお焼香のやり方や心構え、それから広い御影堂の中をあちこち移動しながら安置されている仏像や厨子などを丁寧に説明してくださった「念仏を唱える会」という集まりのおじさん。
 それから京都市内の「大正湯」という銭湯で、でかいリュックかついで入って来た私におばちゃん達がいろいろ話しかけてくれて、私もゆっくり服を脱ぎながら、しばらく脱衣所で話し込んだ。おばちゃん達の子供の頃は、東寺でもどこのお寺でも、みんなタダで入れたんだって。うーん、戦後あたりかな?だから、東寺の金堂や講堂のあのすごい仏像群も、気楽に入って見に行けたとのこと。うらやましいっ!しばらくお寺談義に花を咲かせ、私が「京都に住みたいんです」と言うと、一斉に顔をしかめて大笑いして「やめとけやめとけ」。冬の底冷えと夏の蒸し暑さには、京都人でも耐えられないんだって。うーん、それは分かってるんだけど、住みたいの!
 銭湯でおしゃべりしたおばちゃん達、おしゃべりしなかったおばちゃん達、みんな出て行くときは「気いつけて帰りや」と私に声をかけてくれた。
古くてちっちゃい昔ながらの銭湯。番台のおじさんも、「満足していただけましたか?」とにこにこ。うん、すっごく楽しかった!気持ちいいお風呂だった!
 そうそう、浴室に入ろうとすると、おばちゃん達が「そこにある桶かって行きや」と言う。え?風呂桶はふつうタダで使えるはずだけど・・と私がどこかに値段貼ってないかきょろきょろしてると、また「それかっていけばいいのんや」と言う。「これ、1回いくらですか?」と聞くと、相手も二人でぽかーん。こっちもぽかーん。で、ようやく向こうも気づいたらしく、「借りて、かって」。あーなるほど!そこで皆で大笑い。なーるほど!

 知恩院でお世話になった地元の信徒の方々も、銭湯で一緒になったおばちゃん達も、皆気さくに話しかけてくれて、何かと世話してくれて、そして別れ際には皆、「気いつけてや」。ほんの短い時間の触れ合いだとしても、ちょっと胸が痛んで、別れが惜しくて、これがいいんだな。。
 学生時代に1人旅した頃とはまた心の余裕が全然違うのかな。
 一見時間のロスに思えるような立ち止まりの会話が、いつまでも心に残るような旅の一コマになったりする。。

 ちょっと長くなりすぎましたー(笑)。
 昨日、とても心に残ることがありました。
 それはまた明日m(_ _)m
 





2003年02月13日(木) 雉トラちゃん

 夜帰宅したら、アパートの前の道路にぽつんと猫が座っていたので声をかけたらびっくりして逃げてしまった。ありゃ残念と思ってたらすぐ戻ってきたので今度は「にゃあ」と言ってみたら、なんか勘違いしたらしく、向こうもにゃあにゃあ鳴きながら私の後をついてきた。足にまとわりついて離れない。でも、すんごく落ち着きがなくてぜんぜん立ち止まらない。お腹すいてるわけでもないみたいだし、雌猫なんだけど、お腹に赤ちゃんがいるふうでもない。ちょっと丸々太っていて、毛並みの綺麗な雉トラ猫。近所の飼い猫みたい。「ついてきちゃ駄目だよ」と言うのに、べたべたつきまとって、とうとう階段上がって私の部屋の前まで。ドアあけようとすると中覗き込んで入ってこようとする。だめ〜(^^;)入れてあげたいけど、さすがにアパートには入れちゃいけないことになってるんだよ〜。しばらく外でかまってあげて、お別れ言って私だけ部屋の中に入ると、案の定、しばらくドアの外でうろうろしながら鳴いていた。うう、つらい。早く帰って暖かいこたつに入りなさい。
 
 明日の夜から京都に行って来ます。
 というわけで、明日から日曜まで、日記はお休みします〜m(_ _)m
 その代わりですな、写真日記のほうをちょくちょく更新しますですよ。
 
 今回はなるべくバスや電車に乗らないで、歩ける限りは歩こうと思います。のんびりマイペースで、昔の人みたいにてくてく徒歩の旅です。
 もしかしたら、バスや電車に乗ってたら見落としてしまうようなささやかな風景にも出会えるかもしれない、かな?
 なんてのんきなこと言ってる場合じゃないべ。
 これからリュックに荷物詰めるんであります!
 



2003年02月12日(水) トイレマップ

 最近はそうでもなくなったつもりなんだけど、結構お腹が弱いです。
 トイレもわりと近いせいもあって、映画館や美術館などの施設に行ったときは、自分とトイレの位置関係を常に把握していないと心配なほうです。
 館内案内図なんか見てて、赤と青の人間のマークが片隅に書いてあると、なんだかほっとしますよね。
 
 今朝はうかつにも通勤電車の中でお腹痛くなった。
 痛いと思い始めるともうだめ。気にし始めると、体中の血管の全血液が腹部に集まってきて、頭は貧血状態。満員電車の中、ただでさえ酸素が足りないのに、さらに呼吸困難。お腹の弱い方なら一度は経験したことがおありでしょう。こうなってくると、駅と駅の間が長く感じること!
 。。。出掛けの中途半端な時間にコーヒーは飲まないに越したことはありません。痛く(ホントに痛く)反省。

 で、反省ついでに、私のような人間は、自分がよく行く場所のどこにトイレがあるか常に把握できるように、自分専用の「トイレマップ」を作成するべきである、という結論を出したのであります。
 どこそこの駅のトイレは綺麗で紙がそなえつけてあるとか、あそこのトイレはゴキブリが多い、紙がない、はたまた自販機で100円の紙を買わねばならないとか、チェック項目は結構ありそうです。
 私の場合帰省もするから、東京駅と新潟駅も調べないとね。
 こりゃ忙しいぞ。
 
 ふと、もしかしたら私みたいな発想の人が他にもいて、とうの昔にこの偉業をなし終えているかもしれないと思い、かすかな期待を抱きながら、ヤフーで「トイレマップ」と入れて検索してみました。
 。。。あ、あった。。
 「東京トイレマップ」http://www.asahi-net.or.jp/~AD8Y-HYS/
 半ば嬉し泣きしながらサイトへジャンプしてみましたです。
 この方すごい情熱!便器の写真まで撮ってます。しかもごきぶりまで写ってるし(泣)
 いやーすごいっ。何がすごいって、とても口では言えません。情報量も、情熱も、なんかツボを心得たセンスのよさも、この「東京トイレマップ」は一見の価値ありです。興味を持った方は、ぜひこのサイトに行っトイレ。
 しかも、トイレマップ作成の理由が、やはりお腹が弱くていつもトイレを探して走り回っているから、ということらしいです。おんなじ発想の人が、いた〜!(注:私は滅多にトイレを探して走り回ったりはしませんが)
 
 さてさて、今週末は京都に行ってきます。準備しなきゃー。


2003年02月11日(火) ランドナーが欲しい。。

 今乗ってる自転車は7〜8年位前に買った無印良品の自転車。
 買った当時はフロントに藤製のカゴがついてて、フレームはブラックグレーで、結構お洒落でかっこよかった。これで片道40分の自転車通勤を2年位続けたし、池袋や新宿などのビルの谷間も走った。あんまり酷使しすぎて&手入れ不足のため(ぶっ転んだせいもありますが)、すでに藤のカゴはぼろぼろのため取り払い、ブレーキの利きも悪いし錆も増えた。
 そろそろ寿命かしら。
 っていうか、こら、新しいのが欲しいんでしょ!? 
 あ、ばれましたか。
 実はそうなんです。。。
 
 ランドナーが欲しいです。
 ランドナーというのは(私はスポーツサイクルに詳しくはないのですが)、長距離のツーリング用に作られた自転車です。マウンテンバイクとはまた違って、オンロードで長時間こいでいても疲れないようにいろいろ工夫がされてます。
 無印の自転車買ったばかりの頃、嬉しくて、夏に「今回は自転車で帰るから」と実家に電話したら、慌てた両親に止められてあえなく計画倒れとなったことがありました。
 東京から新潟までは国道49号線でまっすぐ行けばいいんだから道に迷うことはないべー、と思ってたのですが、母に、「国境の山脈をどう越えるつもりなの!?」と叱責され、ようやくはっとなった次第であります。
 無印の自転車で山登るほど私も馬鹿でないわさ(もう十分馬鹿ですね)。
 普通に新幹線で実家に着いたとき、「もう自転車で来るなんてのんきなこと言わないでよね」としつこく念を押されましたです。

 でも、その時の幻の日本横断自転車旅(^^;)は、私の心にずっとトラウマとして残っております。
 せめて男に生まれておれば、寝袋積んでどこ行こうが誰にも咎められないだろうに。素っ裸でどこぞの川で水浴びしてても怪しまれない(十分怪しいか)だろうにさ。
 
 なんか話がどんどん横道にずれてく(笑)。
 
 自転車旅のサイトを見るのが好きです。
 徒歩旅、とりわけお遍路旅のサイトも好きだなあ。
 で、自転車旅のサイト見てると、結構みんなあちこち長距離旅を自転車でやってる。女性も多い。一人で海外自転車で周ってる女性もいる!すごい!!国内では日本列島縦断してる人も多い。
 
 まずは体力つけるべ。
 ゴハンしっかり食べて、運動するべ。
 んでもって、自転車欲しいな。
 ランドナーがいい。
 欲しいな。
 うん。
 ランドナー、欲しい。。。
 
 でも、高いんだよな。。
 車やバイクに比べればぜんぜん安いんだけど、スポーツサイクルって、やっぱり高い。。いいものはパソコンとどっこいどっこいの価格になってしまう(泣)。それに、国内メーカーの純正のものは本当に少ないみたいです。
 。。一番欲しいのはアルプスの「クイックエース」というもの。15万もする(泣)。とてもじゃないけど、手が出ません。これはいつか。。。
 今考えているのは丸石の「エンペラー」。
 http://www.maruishi-cycle.com/products/index_emperor.html 
 8万7千円。これも高い。でも、ランドナーとしては破格の安さです。
 頑固にこだわってランドナーを作り続けている丸石の、定番中の定番。
 毎年カラーの異なるモデルが発売されていて、2003年モデルはブルーグレー(かな?)とグリーン。去年のオレンジもよかったけど、今年のグリーン、いいないいないいな!
 うーん。
 だけど、9万円(細かいパーツ買うともっと出費が・・・)は痛い。
 生活費切り詰めねばなるまい。。
 っつうか、自分の消費生活を今一度見直さねば。
 
 。。。たぶんしばらくは無印自転車を愛でます。
 


2003年02月10日(月) 好きな匂い、やな匂い

 昨日はずいぶん偉そうなことをつらつら書いちゃったなあ。
 自分もたいしたことしてないくせに、自分の思っていることが正論だと思い込んで書き連ねてしまった。それもいつものことではありますが(^^;)
 コトバと言うのは難しいツールですね。
 共感を得ることもあれば、励ましにもなることもあり、はたまた凶器に変身することもある。コトバのお陰で人間関係がぎくしゃくすることもある。誰かのふとしたセリフが、他の人の頭から離れなくて悩みの素になることもある。
 ともかく、自分の発したコトバによって、他の人が深く考え込むこともあるわけで、それはとてもありがたいことであると同時に申し訳ないな、と思うことも。。
 だけど、こんな風にネットの上で自分の考えてること書かせてもらう場所を提供してもらえるって、本当に嬉しいことのような気がする。
 時間や距離の制約なしに、いろんな土地のいろんな人と、コトバを介して交流ができるなんて、昔は考えられなかったものね。。
 ありがたいことです。

 えっと、話は変わりますが。。
 今日帰宅するとき歩きながらずっと考えてたこと。
 って、たいした事じゃないんだけど。
 私の好きな匂い(ここではノーマルではない部類の好みの話として)。
 アスファルトの焼けた匂い。
 すいません、道路の舗装工事の側を通りかかったもので、そんなことを考えてました(笑)。
 何故か昔から、舗装し終わったばかりの、まだ熱を持ったアスファルトの匂いが好きです。
 あと、学校の音楽室の匂い。たぶん、オルガンや他の楽器用のオイルか何かの匂いだと思うんだけど。。それから、靴屋の匂い。やっぱり皮とオイルの混ざった匂いなのかな。
 変わったところでは、魚市場や魚やさんの匂い。高校時代、友達と線路沿いの市場を歩いていて、「この魚の生臭い匂いがいいんだよね」と言ったら、前を歩いていたおばさんがぎょっとして振り返ったのを覚えてます(笑)。
 あとはー、あ、ガソリンスタンドの匂い。でも、ガソリンの種類によっては苦手なのもあるみたい(最近車に乗らないからあんまり詳しくない)。
 これは共感してくれる人も多いかと思うんだけど、猫の、耳の後ろから首にかけて、鼻をくっつけて嗅いだときの、あのなんともいえない甘美な動物臭。ふわふわの体毛の向こうの温かい猫の皮膚から発せられる匂い。あれはなんとも言えないくらい幸せな匂い。あ、犬もそうです。でも、犬の毛はちとごわごわして、痛い(笑)。で、犬の場合ちと獣臭いかも。犬より猫のほうがせっせと身体舐めてますしね。犬派の方、すいません。

 逆に、嫌いな、ウッとなる匂い。
 納豆は大好きなんだけど、納豆を食べた後のお茶碗に熱湯を注いだときのあのツンとした匂いがだめ。
 カブトムシが好きで子供の頃よく育てたんだけど、おがくずとスイカとカブトムシの匂いが混ざったのが苦手だった。
 お酒は大好きなんだけど、人が(自分も)酒臭いのはいや。週末の深夜の満員電車は最悪ですな。
 あ、その線で行くと、タバコの匂い、だめだーやっぱり。
 それからタクシーの車内の匂い、あれはどうしてああなんでしょう?
 子供の頃、風邪で具合悪くなってタクシーに乗せてもらって病院に連れてもらったりすると、なおさら具合悪くなった。。運転手さんには申し訳ないけど、あの匂いはどうしてああなの??
 さらに、子供の頃病院で貰った水薬の匂い。ピンクや黄色の、イチゴ味とかレモン味とかってついてる子供用の風邪薬。。あれがどうしても飲めなくて、母がヤクルトに混ぜて無理やり飲ませたんだけど、頑張って飲んでもすぐげーげー吐いてしまってだめだったので、私は小4か5くらいから大人用の錠剤を半分の分量で処方してもらってた。
 あ、それで言ったら養命酒の匂い。あれもだめ。。。
 でも滋養強壮に良いから(虚弱だったのだー)、以前は毎日頑張ってのんでた(息止めて)。
 さらに、カメムシの匂いー。
 うえーー。
 去年、ベランダのミニトマトにカメムシがいっぱい発生した。
 最初1匹だったから、まあ遊ばしとこうと油断したのが間違いのもと。
 数日後には10匹くらいになってた。しかも、匂いが強烈。
 なんともいえないあの匂い、なんて表現したら・・・あ、そうそうコリアンダー(パクチー、香菜)の葉の匂い。
 それに関連して、どくだみの匂い。。
 子供の頃、近所の軒下に沢山自生してたどくだみの白い花を摘んで、手にあの匂いがしみついて、洗っても洗っても取れなくなった。それ以来、どくだみは絶対触らない。
 大人になって、どくだみ茶を知ったとき、心底びびった。
 あんな臭いものが飲めるか、と。
 でも、皆が美味しそうに飲んでるからだまされたつもりで飲んでみたら、くだんの顔をしかめさせるような匂いはぜんぜんなくて、さらに驚いた。
 乾燥させると消えるんだね。

 番外編。
 よく、「ゴキブリの匂いがする」と言うが、あれが分かりません。
 ゴキブリの匂いなんて、分かるんでしょうか???
 あるの?? 
 。。。それだけは、知りたくない、嗅ぎ分けられるようにはなりたくありません。
 
 以上、独断と偏見に満ちた考察でございました。
 
 


2003年02月09日(日) 緑地のこと。。

 今日は暖かくて、よい天気でしたね。
 ここんとこ風邪引いてばかりで、休日も家の中でじっとしてなきゃならない日が続いていたので、もうむずむずして、お昼ゴハン食べたらダウンジャケットのポケットに文庫本と小銭入れと携帯電話放り込んで、鉄砲玉のように飛び出しましたです。ほんとはまだ風邪が完全に抜け切れてないんだけど、部屋の中にじっとしてたらかえって身体によくない気がして。

 なんにもイベント性のない休日が好きです。
 どっち曲がろうとどこまで行こうとどこで立ち止まろうと自分の勝手、っていう1日が好みです。
 人の家の庭先を眺めながら住宅街を歩いて、商店街に入って、まずコーヒー(笑)。
 「カフェ・ベローチェ」はあちこちで見かけるコーヒーのチェーン店ですが、150円で結構美味しいコーヒーが飲めるので、よく利用してます。
 通りに面した窓際のカウンター席の端っこに座って、ブレンド飲みながら文庫本読む。
 新宿や渋谷などのコーヒーショップと違って、住宅地の側の店は、家族に邪魔されずに本を読むために来ているような感じの近所の住人が多くて、気取りがなくて好きだな。その分なんか居心地がいい。
 本を閉じて、携帯にイヤホン差し込んで、サンタナのバラードを聴く。
 去年の秋に買ったシャープのSH52は、写真も撮れるし、音楽も聴けます。音楽は、SDカードに録音したものを聴くんだけど、予想に反して音質が良いので私はこれで十分満足してます。どっかのサイトで「音が悪い、所詮携帯のおまけ機能にすぎない」みたいに書かれてたけど、そんなことはないよ♪っつうか、私レベルではこれでOK。
 で、2杯目のコーヒーをちびちび飲みながら、サンタナの「VICTORY IS WON」という曲をリピートで聴く。はー幸せだー♪この時間が永久に続けばいいのに。。ギターの泣きと一緒にどっかにトリップしてしまいそうだぁ。
 
 そろそろ歩きたくなったので、川沿いの緑地へ向かいました。
 今年初めての公園だー。
 ここでも携帯で遊ぶ。
 桜の木を写したり、猫ちゃん達をモデルにしたりと、結構忙しい(笑)。
 緑地公園では犬の散歩や、ジョギングやウォーキング、キャッチボールやサッカー、はたまた楽器の練習など、みんなそれぞれの時間を楽しんでいて、ここもまた居心地がいい。。
 東京23区内なんだけど、ここは驚くほど緑が多い。
 木々の間を歩く、歩く、歩く。
 立ち止まって、川の流れを眺める。
 ベンチに腰掛けて、頭上の梢を仰ぐ。
 都会の中の、人の手のある程度入った緑だけど、それでも私にとってはありがたいです。
 時々こうした自然の中に入って、木々のリズムと同調するのって、とっても大切なことのような気がする。緑のもつエネルギーを分けてもらうわけです。自分の場合ですが、自然とかけ離れた生活をしていると、生理(月のものですね)が止まります。パソコンの画面や、アスファルトや、コンクリの壁面ばかり見てる生活を送ってると、精神面でも悲鳴を上げそうになるけど、それ以上に身体が先にSOSを発するようです。
 それから、木々のもつ浄化作用はかなりのものだと思います。
 近くに大きな環状道路があるため、周囲の空気は結構汚れているのですが、緑地公園に来ると、空気がキーンと澄んでいるように感じられます。
 空気が美味しいっていうのかな。。
 
 去年、この公園のすぐ脇に、大きなマンションが出来ました。
 公園が暗くならないようにとの配慮からか、低層ですが、敷地面積が広くて、とってもおしゃれな外観。
 実は、マンションから近い公園内に、あづまや風の休憩所があって、そこにホームレスのおじさん達と10匹近い猫達が共同生活を送っていたのですが。。。案の定、追い出されてしまったようです。。
 今はあずまやの屋根も取り払われ、コンクリートのベンチが円形に残っているだけで、おじさん達も猫達も見当たらない。。。
 以前は、そこを通りかかると、ポータブルラジオから大相撲の取り組みが流れてきたりして、私もよく立ち止まって聞いたり、猫をかまったりした。そこの猫は人見知りが激しくて、ちょっとやそっとじゃなついてくれない。私が猫に逃げられるのを見ておじさんが笑ってたけど。
 おじさん達や猫達がそこからいなくなったいきさつは、なんとなく分かるような気がします。
 マンションがすぐ近くにできて、新しい住人達が増えて、「環境がよくない」「安心して子供を遊ばせられない」「不衛生だ」といった苦情が出たのかな。。おじさん達や猫達には新しい環境が用意されたのかなぁ。。屋根の取り払われたあづまやを見てると、なんだか暴力的に、力ずくに退去させられたんじゃないかって気がする。。
 私がもしあのマンションの住人で、子供がいる身だったら、考え方がもう少し違うかもしれないけど、でも、少なくとも、あそこにいたホームレスのおじさん達や猫達は、周囲に危害を加えたり、迷惑をかけたりするような暮らし方はしてなかったように思います。あづまやはいつもきれいに整頓されて、おじさん達はそこで将棋をしたり、おしゃべりたのしんだりしてたし、猫達は公園をねぐらにしてるカラス達から必死に身を守りながら、おじさん達や、ボランティアの人達からごはんもらって生きてたし、私は何度もそこを通ったけど、不愉快な思いをしたことは一度もなかったです。
 こういうページがあります。
 http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/sizenhogo/touron/iken/iken-sesaku-3.htm
 「『緑の東京計画』に対するご意見の紹介 」という、東京都環境局公式ウェブサイトの中のあるページです。都民から寄せられた公園や緑地に関する意見が載ってます。
 公園や緑地に対して、まさにいろんな意見や考え方があるんだなあ、と驚きます。「木が多すぎるのは夜間怖い」というのもある。人によってほんとに違うんですね。
 でも、一通り読んでみて私が感じるのは、「排他的だなあ」ということかも。。特にホームレスの人達や野良猫達に対して。
 そもそも、地球上のどの土地も、人間だけのものではないし、日本のどの土地も、特定の人達の占有物ではないはず。
 それを、人間は土地を区画してお金で売買して所有者を決めてるだけで、極論を言ってしまえば、本来はどんな土地であってもどこの土地であっても誰のものでもないわけで。。
 公園がそこにできたからって、ホームレスの人達が住んではいけないというふうに決めつけるのはおかしいんじゃないかと思う。
 普通に綺麗なマンションや住宅に住んでる人達が、「あの公園は私達のものだ」と言ってるようなものだって感じるんだけど。
 私の考え方は極論かもしれないし、ホームレスの人達にも問題はあるとは思うし、行政がもっとホームレスの人達の救済策を出してくれればとも思うけど、でも、人間社会の片隅で、ときどき不条理な事柄が平然と行われていたりする、そういう場合に立場の弱い人達が都合よく虐げられてしまう、その舞台が公園や緑地だとしたら、いったい何のための公園や緑地なのかなあと、疑問に感じます。
 「ホームレスが環境を悪化させている」と言いながら公園から排除しようとする大人達と、「ホームレスは虫けら同然」と言いながら公園で寝泊りしていたホームレスの人を殺害した少年達とは、本質的には変わらないと思う。
 あのおじさん達と、猫達が、新しい居心地の良い住み処で安住していることを願うばかりです。
 


 
 
 


2003年02月08日(土) さぼーり

 今日は日記さぼりを行います。
 題して「さぼーり」。
 
 。。。意味もない駄洒落をすんません。


2003年02月07日(金) ストーンズのチケット(-_-)

 ローリング・ストーンズの武道館での来日公演(3月)のチケット、高すぎ!
 料金 SS¥22,000 S¥19,000 A¥17,000 B¥14,000(税込)
 一番安いB席でも、他の来日アーティストの一番高い席より高い。。
 オペラ並みじゃん。
 東京ドームや大阪ドームでの公演は武道館より安いけど、それでもやっぱりストーンズは高いっ。
 ロックのコンサートがこんなに高くていいのか?
 ロックの精神は金儲けじゃないだろーっ(^^;)
 
 ずいぶん前に、ある来日アーティストが、雑誌か何かのインタビューで、「日本でのコンサートチケットが他の国より高いのは何故か?」という質問に、「日本人はお金持ちだから、お金のある日本人に協力してもらってる」みたいなことを答えていた。
 でもその当時はバブルの時代だった。今の日本人は生活費切り詰めてる人のほうが多いはず(私か・笑)。
 ストーンズのコンサートって、どんなファンを対象にしているのかが分からない(ファンの方ごめんなさい)。この値段見てると、お金に余裕のない若者は対象外のような気がする。歴史の長いバンドだから、年配の方も多いだろうけど。。
 が、実際にチケット売り出されると、すぐにソールド・アウトなんだろうし、それからすぐにチケットショップやネットオークションでとんでもない値段で売られたりするんだから(チケット買い占めて転売するのを商売にしてる輩もいるとか?)、やっぱ日本ってオカシイ。そもそも前回までのコンサートで、高い値段のチケットがすぐに売り切れちゃったりするから、今回のチケットもそれでいいやって高く設定されてるわけで。
 ストーンズのコンサートに行く人がすべて、テレビで「行ってきましたぁ」って騒いでるタレントさんばかりじゃないし、チケットの値段はミックやキースが決めることじゃないだろうから、あんまり毒づくのもいけないとは分かってるんだけど。。。
 あんまりプレミアがついて一般人が手に入らないようなところまでいってしまうと、なんだかロックとはかけ離れてしまうような気がするですよ。


2003年02月06日(木) 「納棺夫日記」

 
私には、ひょんなことから葬儀社に勤め
死者をお棺に納める納棺の仕事を
専門にしていた季節があった
納棺の仕事を始めて間もなく
世間から白い目で見られるようになり
親戚などから「親族の恥」とあたかも
蛆虫か何かのようにののしられた
だから当時は卑下しながら隠れるように
生きていた

そんなある日
一人暮らしの老人が死んで
死後数ヶ月経った遺体の納棺に出向くと
部屋中に蛆虫が這い回っていた
一瞬どきっとしたが
蛆を何とかしなければと
蛆を箒で掃き始めているうちに
蛆が必死に逃げているのに気づいた
やがて一匹一匹の蛆が鮮明に見えた時
ああ、蛆も生命なのだと思った
するとぽろぽろ涙が出てきて
蛆たちが光って見えた

。。。以上は、「納棺夫日記」という作品の著者である青木新門さんのサイトhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/index.htmから勝手にコピーさせて頂いたものです。他の本と一緒に実家に送ってしまったので、今私の手元にないのですが、時々思い出して読みたくなる本です。1996年に文春文庫で出たのを買って1度読んだだけなのですが、強烈に印象に残っています。
こういう世界があったのだ、がーんと頭を殴られたような衝撃があった。
 「納棺夫」というのは、亡くなった方の遺体を綺麗に拭いてあげて、お棺に納めてあげる仕事をする方のことをいうのだそうです(これは作者の造語)。その、納棺夫の仕事を通して作者が感じたこと、遭遇したことを静かな文章で綴っています。ほんとうに静かな作品です。だけど、静かだけれど、人間の死を見つめ続けるまなざしの中にとても力強いリアルな哲学が存在していて、感動とか、感銘とか、そんなありきたりな表現では言い表せないほどに心の奥底を揺さぶってくれる本です。
 私の一番印象に残っている部分は、上にもコピーさせて頂いた、この蛆虫の話。それから、かつての恋人の父親の納棺に出向いた話。
 
 今日、「ギロチン死刑執行人の日記、1千万円以上で落札」http://www.cnn.co.jp/world/K2003020601280.htmlというニュースを読んで、「納棺夫日記」のことを思い出した。
 「ギロチン(断頭台)の死刑執行人として1900年代初期、400人近くの処刑を実行したフランス人の日記がパリの競売に出品され、予想落札価格を大きく上回る8万5000ユーロ(約1105万円)で落札された。鉛筆とインクで書かれたこの日記には、処刑された人間の氏名や罪状、裁判内容、処刑日や天気、場所などが、計2000ページ以上に渡って詳細に記録されていた。」
 「歴史文書などの専門家は、『デイブラー氏は、他の人と同じように、自分の職務をきちんとこなしただけだ。しかし、死刑執行という仕事のために、日記を通して自らの正当性を確認する必要があったのだろう。これは、個人の日記であると同時に、懺悔(ざんげ)の記録だ』と説明している。」
 ・・・以上ニュース抜粋。
 
 日記の内容は、そんなものだろうか?
 自らの正当性とか、懺悔の記録とか、そんな風に簡単に言い表せる内容かなあ、と思う。
 納棺夫も、死刑執行人も、人の死と密接にかかわるのは同じ。
 そこに何が見えてくるのか、その仕事を黙々と続けたその人にしか見えないもの。読む人の心を捉えて圧倒して離さないもの。
 死刑執行人の日記を高値で落札した人の名は明かされてないけれど、願はくば、その日記がいつか本として出版されて、一般の人が読むことが出来ますように。。

 

2月5日(水)

 今日(5日)の日記を書こうとして入ったら、昨日の日記が5日の所に入っておりました。さてはわたくし、昨日日付1日間違えて書いたんですね。おまぬけ。。
 そんなわけで、5日の日記を6日の欄に書いております。明日はこの下に続けて書きます。(注:上に書きました)
 
 私は怒っておーる!!
 先月日記に書いたのですが、12月で紙の新聞を取るのをやめて、経費削減のためにネットの新聞社のサイトで最新ニュースを読むようにしてました。中でも朝日新聞は、その日の朝刊のほぼ全部の記事をちゃんとサイトに載せてくれてたので、とても助かっていたのですが。。。
 ところがです!
 1月30日からいきなりそれが有料になってしまった!!
 「今日の朝刊」というページは従来どおり存在するんだけど、無料で記事が読めるのは各分野のトップニュースのみ。あとは有料の購読申し込みをしないと読めなくなった。。いくらだと思います?・・・三千円。。
 ちょっとちょっとちょっと!!
 3650円の読売新聞購読をやめて、無料のサイトの新聞を読ませてもらおうと思った矢先にこれですか!
 タイミング悪すぎ。
 まあね、記者さんたちが駆けずり回って一生懸命作ってる新聞をまったくタダで読もうというのがそもそもずうずうしいのだということは、十分わかっております。
 でもね、ネット上で新聞読むのに、月額三千円は高すぎませんか?
 せめて二千円にしてくれい。
 だって、産経新聞の「電子配達便」は、1995円だもの。私ならこちらを選ぶもんね。。ネットで配信するほうがコスト的にも安いはずだよね。。
 でも、せっかく新聞取るのやめて経費削減したのに、また購読料払うのは解せない。私は妙にせこい人間であるからして。
 なのでしばらくあちこちのニュースメディアのサイトを回ることにします。
 
 


2003年02月05日(水) サンタナ許サンタナ

 雑踏の中でジージー音がするのでなんだろうと思ったら、すれ違ったおじさんが髭剃りしながら歩いていた。
 新宿の街中だよ。。
 うーん、まんだむ。

 洋楽のCDを買うとき、輸入盤にするか、日本盤にするか、私の場合はある程度基準があります。
 ボーナストラックがついてるかついてないか。
 本来アルバムに収録されている以外に、発売する国によって異なるサービス曲みたいなものです。どういう経緯で追加されるのかは私には分からないけど、たぶんその国でウケのいい(TVのCMに使われてるとか、ライブバージョンとか)曲が選ばれるみたい。
 TOTOとか、大好きなアーティストの場合は、無条件にボーナストラックのついた日本盤を買ってしまう。曲の良し悪し如何より、とにかくTOTOの曲であれば1曲でも多く聴きたいだけの理由なんですが。
 でも、だいたいは店頭で視聴して(視聴コーナーで視聴できるのは日本盤であることが多いようです)、ボーナストラックが気に入ったら日本盤を買うようにしてますが、そうでもない時は極力安い輸入盤。だって日本盤と輸入盤では価格差が千円近くになるものもあるんだもんね。最近は二千円以上する輸入盤もあったりして、それはちと納得いかないんだけど。
 ボーナストラック、と言っても、結構いいのが入ってたりして、油断できない。
 例えばKENNY・Gの「THE MOMENT」というアルバムの日本盤(アジア盤?)のみに収録されている「HAVANA」という曲のリミックスバージョンは、もう卒倒するほどかっこいい。これだけでこのアルバムを買う価値はあるかなと思うくらい。
 逆に、とってつけたようなほんとにオマケ曲(すいません)みたいなのを入れてあるものもあるから、買う前に出来る限りチェックしてます。
 んだども。
 んだどもな。
 すんごいショックなことがあった。。。
 去年買ったサンタナの最新アルバム「シャーマン」。
 私が買ったときはたしか輸入盤しかなかったから、当然選びようもなく輸入盤にしたんですが。。
 それはそれですっごくいいアルバム。
 サンタナってどうもスケベっぽいギターが好きになれなかった(色気のあるギターは好きなんだけど、スケベなギターはちょっと苦手)んだけど、視聴したら即買い!になってしまった(笑)。
 泣きのあるギターに聞き惚れてしまいます。
 メロディもいいし。
 おすすめです。
 
 が。
 ところがです。
 今日タワーレコードに行って、視聴コーナーにサンタナの「シャーマン」の日本盤が置かれてたので、何気なく手にとって曲目見たら、あれ!?あれあれ!?曲の数は日本盤と輸入盤ではまったく同じなのに、微妙に、っていうか真ん中あたりの1曲がそっくり違ってる。
 これは聴いてみないと気が済まない、というわけで、日本盤の12曲目(だったと思う)を店頭で視聴しました。
 ・・・すんごくいいんだけどこれが。。
 グルーヴ感があって、メロディも綺麗で、ちょっとちょっとちょっと〜!
 これ、輸入盤になんで入ってないわけ!?
 うわー失敗した失敗した失敗したあ(泣)。
 日本盤買うべきだった〜!!
 輸入盤と日本盤で、中身(1曲だけだと思うけど)変えないでよって言いたい!あくまで追加にしてほしい!!
 ・・・まさか日本盤と輸入盤、両方買うわけにもいかないしなあ。。
 仕方ないからレンタルショップで借りて1曲だけダビングしようと思います。。
 もしこれからサンタナの「シャーマン」を買う予定の方がいましたら、私としては日本盤を強くおすすめします。
 ・・・サンタナはやっぱりスケベだあっ。
 ファンの方すみません。


2003年02月03日(月) ビクトリノックス

 今日は早く帰って鬼の役をやらなきゃならないと言いながら急いで退社していった方がおりました。
 えらいっ!
 頑張れお父さんっ!!
 かく言う私は豆を買うのすら忘れてけえってまいりました。
 昨日日記であんなことほざいたくせに、すいませんねえ。。

 と言うものの、私も定時になったらそそくさと会社をあとにして、御徒町へ急ぎました。
 山手線御徒町駅前のガード下に、「マルキン商店」というナイフ専門店があるのですが、そこが閉店7時だったのでてってこてってこ急ぎましたです。
 で、初めてのビクトリノックス(VICTORINOX)を買いましたです。
 写真日記にも載せましたが、「ミニチャンプDX」と「クラシック・エーデルワイス」。2本も買ってしまった。。。
 マルキン商店さんは小さなお店だけど、ビクトリノックスのナイフが一通り揃っていて、価格も良心的。ハンズや大手のアウトドア用品店より安くなってます。ちなみにホームページもあるよ。http://www.ameyoko.net/marukin/
 「エーデルワイス・クラシック」は自宅の鍵につけてキーホルダーにしました。「ミニチャンプ」はいつもバッグの底に入れておこうと思う♪
 私は手が小学生並に小さいので、小さいサイズしか使う自信がないんだけど、そのうちきっと普通サイズの「トラベラー」とか「キャンパー」も欲しくなるような気がする。。。
 ご存知の方も多いと思いますが、一応。
 ビクトリノックスというのはスイスのアーミーナイフのメーカーで、基本的に赤いボディにスイスの国旗模様の十字架がトレードマークのポケットナイフが有名です。一見爪切りみたいな形のさやに、ナイフやはさみやピンセット、爪やすり、ドライバー等のいろんな機能がつまった、十徳ナイフです、要するに。アーミーナイフで評価されたけど、男女問わず日常的に使えるアイテムが揃ってると思う。例えばキャンプに便利な「キャンパー」や、旅行に持っていくと役に立つ「トラベラー」とか、「マウンテニア」(登山)「フィッシャーマン」(フィッシング)、はたまたシャトル乗組員の標準装備となっている「スペースシャトル」など、それぞれのシチュエーションに合わせて各自が自分に必要なバージョンを選べるのが魅力じゃないかな。
 
 血を見ると卒倒しそうなくらい一気に貧血起こす私なんだけど、ナイフは結構好きです。ただし血は見たくないから取り扱うときは細心の注意を払ってますが。。
 といってもそんなに持ってません。今日買ったビクトリノックス以外には2本だけ。
 1本は雑誌「サライ」についてたカタログで選んだ四国のほう(だったと思う)の鍛冶屋さんで作られた切り出し。
 もう1本は日本橋人形町の「うぶげや」という刃物やさんで選んだこれも切り出し。
 うぶげやさんのは本当に気に入ってます。
 切り出しって凄く好き。シンプルで、最低限必要な形でいさぎよいって感じ。うぶげやさんで切り出しを買うときに、近くの「木屋」で買おうか迷ったんだけど、「うぶげや」と仮名で彫ってあるのが気に入って、結局うぶげやさんのにしました。もう何年もこれで鉛筆を削ってますが、切り出しを握ると背筋がぴんとするほど気持ちがよいです。。こういうのを1本大切に使って、研ぐごとに少しずつ短くなって、それと一緒に自分も歳をとっていくのってなんだかいいなあ、と思ってしまう。

 昔々、私がまだ「女の子」と呼んでも違和感がない位の年齢の頃、付き合っていた男の子とハイキングに行った。
 途中で美味しそうなりんごが売られていて、彼がそれを買った。
 芝生の上でおにぎり食べて、さてりんご食べようかという段階になったとき、彼がジーンズのポケットからビクトリノックスを取り出して、ナイフを立てると、それでりんごの皮をするするとむき始めた。
 それが私とビクトリノックスの出会い。
 ナイフって、人間にとって、最も密接で長い歴史を持ったアイテムじゃないかな。遠い昔、気の遠くなるくらい遠い昔、人間がまだ今みたいな外見じゃなかった頃から、ナイフは私達の祖先と共にあったんだもんね。それだけ原始的でシンプルな道具であるナイフをさりげなく使いこなせる人って、かっこいいなと思う。っていうか、嫉妬する。
 ナイフは、悔しいけど、やっぱり男の人の手のほうが似合う。
 ごつごつした大きな手のほうが。
 哀しいかな、私のちっちゃい手には似合いません。おっかなびっくり持ってる、危なっかしいって感じがするし、ナイフに逆に遊ばれてるようにも見えるから。
 例えば釣りに行って、男の人が船の縁に腰掛けて、ビクトリノックスの「フィッシャーマン」で魚の鱗取ってたら、きっと惚れ惚れする(^^)。こういうのは自分には出来ないから。
 男の人が1本のナイフを大切に持っていて、いざという時にさりげなく出して、それでささっと一仕事始めると、かなわないなあ、と思うだろうなあ。その、きわめてシンプルで原始的なツールであるナイフと、持ち主の男の人の間に存在する、親密な信頼関係に入り込めない悔しさを感じるかもしれない。
 今の世の中、パソコンとか、携帯とか(自分もなんだけど)、便利なものばかりに囲まれてるから、逆に、ナイフっていう超シンプルなものにも魅力を感じるのかな。それ1本さえあれば、人間がただの人間であった頃に回帰していけるようなイメージ、と言ったら大袈裟かな?
 でも、街中でこれ見よがしにナイフちらつかせているようなのは魅力的じゃない。まあ、最近は銃刀法が厳しくなったからそういう光景もないけど。。ナイフを強さの象徴として使うのはまったくかっこよくない。
 あくまで、さりげなく、道具として使いこなすのがかっこいいと思う。
 
 私の両親の子供の頃は、皆ナイフを使いこなせてたんだって。今は「肥後の守」を探してもなかなか売ってない。親は危ないからと言って子供にナイフを使わせない。結果、図工の時間の彫刻刀すら使いこなせなくなってしまう。危ないから使わせないんじゃなくて、子供の頃から危なさを教え込むのが正しいやり方じゃないかなと思うんだけど。。
 
 
 


2003年02月02日(日) バレンタインいらんたいん

 この土日も風邪が抜けなくて、結局2日とも自宅で大人しくしてました。
 昨日みたいに天気が良いのに外出できないと、いい加減ストレスがたまってくる。公園行きたい。お散歩したい。歩きたいっ!!
 専門的なことは知らないけど、自分なりに思うのは、歩くということは脳の活性化につながるのではないかということ。
 ひたすら歩く、歩く、歩く。。。歩いていると、新鮮な酸素が身体の中に沢山入ってきて、じっとしているより思考が冴えるような気がする。自宅でじっとしながら考え込んでどんどん気持ちが沈んでいくようなことも、歩いているとふっと出口を見つけることができるときがある。
 京都に「哲学の路」というのがある。
 哲学者の西田幾太郎などが思索しながら歩いた道であることからその名がついたそうだけど、それってすごく分かる気がする。
 天気の良い日に川沿いを散歩するのは心の栄養補給なんだ、と最近つくづく思う。
 
 で、まあ仕方ないから、家で音楽聞きながらいろいろやっていた。
 ラジオのJ-WAVEにしていたんだけど、この時期、なにかにつけて「バレンタイン」の話ばかりじゃないですか。
 いい歳した大人がバレンタインバレンタインってそんなに騒ぐなーっ、とラジオに向かって言いたくなったけど、そこは抑えて抑えて。
 ラジオのDJさん達は「バレンタインだバレンタインだ」ばかり連呼してますが、明日の「節分」の話題は全然出てこないじゃんね。へんなの。
 なので途中からラジオ消してずっとCDにしてました。
 Yngwie J.Malmsteen's Rising Forceの「Odyssey」とRainbowの「Straight Between The Eyes」。どちらもボーカルがJoe Lynn Turnerです。
 何度聴いても情感がこもってていい声だ〜。
 ジョーおじさん好きだなあ。。


2003年02月01日(土) 川崎の古書店の件に思ひたること

 川崎の古書店で万引きした少年を警察に引き渡した際、逃走して近くの踏み切りで電車に引かれて亡くなった事件。
 万引きを警察に通報した店主に「人殺し」だとか「配慮が足りない」と非難の電話などが相次いで、一時は閉店を決意させるまでになってしまった。と、こんどは、閉店することはないと激励のメールや電話が多く寄せられ、店は続けていく方向で動いているとのこと。 
 今日の記者会見で書店の店長が、「非難の電話をしてきた人は声から判断して30〜40代以上。女性が若干多かった」と言ったと知って、妙に納得してしまった。
 自分の中にもそういう部分があるからよく分かったりして。。
 30代ともなると、ある程度自分の考え方というものに自信がついちゃってるから、「許せないっ」とか「あの人間違ってる」とか「私のほうが正しい」って思ってしまうこともしばしば。こんなこと言うと同性の方々から怒られちゃうかもしれないけど、女性はどうしても感情が先立つことが多いから、物事を多角的に見てじっくり考えるのが不得手なような気がする。結果として、相手の事情や心情を考慮しないままの発言や態度が多かったりするんでないかいの?
 
 昔と違って、今は電話やメールですぐさま自分の感情をぶつけることができるから、今回みたいに非難や抗議がリアルタイムに、昔では考え付かないほど大量に送りつけられてくる。手紙や行脚なら手間ひまかかる分抗議する側も気持ちの整理ができるかもしれないけど、今の世の中怒りの湯気がぼっぼぼっぼ上がったままそれを対象にぶつけることが出来るから、ぶつけられたほうはたまったもんじゃないだろうなあ。

 自分の意見を言うのは悪いことじゃないけど、メールも電話も使い方間違えちゃうと凶器になる。匿名性高いし。
 気をつけるべ。


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