マユキはガードを解いて立ち尽くす。 氷点下の風。細胞が痺れて割れそうだ。パキッ、パキッと音が響く。 コオリ「殺されているな」 マユキ「すごい音・・・すごいスピード・・・きっと砂になっちゃうね、」 ツララ「零度を下回る風の中で、耐え切れるはずもない、心もろとも砕け散って砂になってしまうぞ」 マユキ「いっそ砂にでもなってしまえばいいわ、もっと軽くて小さなものになるの。砂に還ったらそこから風に乗って、暖かい南国のサハラまで運ばれてゆくの。そしてそこで砂の仲間と一緒になって灼熱の砂漠の一つになるわ。砕けて私は自由になるの」 ツララ「しかしこの凍りついた世界に風が吹くのは、もっとずっと後だ」 マユキ「どれぐらい後? いつ? 何時何分何秒後?」 ツララ「マイナスがプラスにならなければ・・・」 マユキ「? プラス? それって? あっ。解った! 暖めればいいのよ、炎を燃やして!」 ツララ「凍りついた世界を暖めても大したプラスにはならない」 コオリ「相殺されてしまうからな」 マユキ「ショック! なんてひどいの? じゃあ100度の炎を起こしたとしても?」 ツララ「熱力学だ。この巨大な湖の全てをプラスに変えられるほどの熱は君一人では生み出せない。燃やせるものはわずかに落ちている枯葉と、君の着ている服と、あとはせいぜい君の長い青緑色の髪、ぐらいだ。つまり。たった1点の100度の熱は、広大な無限のマイナス200度に吸い取られて、跡形もなく消えてしまう」 コオリ「相殺されてしまうからな」 マユキ「永遠に? 風さえも起こらないの? 私はひび割れて砕けていくだけ?」 パキッ、ピキッ、バキッ、という何かが砕けそうな、不穏で静かな音が響く。コオリ、ツララ両名はゆっくりと頷く。 マユキ「教えて。ここ、この世界がマイナスだとしたら、もう一つのマイナスって一体何? 何なの?」 ツララ「・・・」 コオリ「・・・」 マユキ「早く! 教えてよ! 私、砕けてバラバラになっちゃうよ!」 ツララ「それは・・・」 コオリ「それは・・・・」 マユキ「早く! 何分何秒何マイクロ秒後? 早く! 私砕けて消えてしまうわ!」 ツララ「皆既日食だ」 コオリ「全ての音と温度を奪う」 ツララ「暗闇と静寂の支配」 コオリ「ゆっくりと確実に奪う」 ツララ「引き算の力だ。マイナスに満ちた冷気の世界から何かを奪おうとしても、それ以上に持っているものはもう無いのだから・・・真空の大きな波が起こり、ひずみが駆け抜けて、君は遠くへ押し飛ばされるだろう」 マユキ「皆既日食・・・」 コオリ「死ぬかもな」 マユキ「とうに死んでるようなものよ。ここはそういう場所。ねえ、あれ、やばいよ、ほら、みて、腕が! ひび割れてきてる! あたし本当にバラバラになっちゃうのかな」 |
「・・・それらの絵は、たしかに何か知るに値する物を語っている。だがそれが何であるか、僕にはわからなかった。事実それは醜悪にさえ見えた。だが、そこには暗示されてこそいないが、何か途方もない大きな秘密のようなものが暗示されている。とにかく見る人の心をひどくいらいらさせる作品であった。それは、自分でも分析しきれない感動なのだ。言葉ではなんとも言い表せない何物かを、それらの絵は語っている。」 (P247) 「・・・しかもそれは、彼自身にさえあまりに奇怪で、ただ不完全な象徴による暗示以外には、表現の方法を知らないらしいのだ。いってみれば、宇宙の混沌の中に、一つの新しい範型を見出したとでもいうか、それを、彼は、いかにも不細工に、魂を責め苛みながら、キャンヴァスの上に描きとめようと悩んでいるのだ。表現の解放を求めて、血みどろになって苦闘している一つの魂を、僕はそこに見た。」 (P247) 伝統的な写実主義の絵画の世界から、ついに、象徴・印象主義へと切り込んでいく視点を持ったごく一部の「無名の天才」が現れ始めた、その萌芽の瞬間について描かれている。 「・・・われわれは、この世界にあって、みんな一人ぽっちなのだ。黄銅の塔内深く閉じこめられ、ただわずかに記号によってのみ互いの心を伝えうるにすぎない。しかもそれら記号もまた、なんら共通の価値を持つものでなく、したがって、その意味もおよそ曖昧、不安定をきわめている。笑止千万にもわれわれは、それぞれの秘宝を何とか他人に伝えたいと願う。だがかんじんの相手には、それを受け容れるだけの力がない。かくして人々は肩を並べながらも、心はまるで離れ離れに、われわれも彼を知らず、彼らもまたわれわれを知らず、淋しくそれぞれの道を歩むのだ。」 「・・・たとえていえば、美しいこと、神秘なこと、それこそ限りなくさまざまの語りたいものを持ちながら、ほとんど言葉も通じない異郷の人たちの間に移り住み、やむなく陳腐な会話入門の対話を繰り返しているよりほかない人間、それがわれわれの姿なのだ。頭の中は思想で煮えたぎっている、そのくせ口に出して言えることは、園丁の叔母さんの傘が家の中にあります程度の、くだらない会話にすぎないのだ。」 (P248) <以上、引用『月と六ペンス』モーム(新潮文庫;中野好夫 訳)> 私がずっと言いたかったことを、直截なまでにそのまま言い表している一節があって、とても胸がぎゅっとなった。あまりに不意打ちだったので、眩暈を覚えた。そうなのだ。それが言いたかったのだ。 誰も私の思うことや感じることには振り向かない。例え1時間後の自分自身でさえも、興味は無かったりする。そして当の私自身が、その「何か」を相手に伝わるようになんて表すことはどうしても出来ない。せいぜい、衛星が惑星の外側をぐるぐる回るように、永遠に核に辿り着かないままに、その周辺のことについて言葉を弄するだけだ。 そして伝わらなさをどうにかするための苦闘を続けるだけの執念や情念というものは、もっと安易で安全なものに置き換えられて、消費されていく。毎日の日課とか、恋愛とか。 そのもどかしさは、もう、咽喉と胸を切り裂いて直接に曝け出したらどれほど早いだろうかと考えてしまうぐらいだ。考えたところでどうにかなるものでもない。毎日はまたごく平穏に繰り返される。血みどろの苦闘は回避され、目を瞑ったままでも歩けそうなほど同じ道を間違いなく歩くのだ。 このどうしようもない想いは免疫性疾患の重病のように、忘れた頃に再発し、私をどうしようもなく答えのない危ないところに持って行こうとする。仕事がおろそかにならないよう、様々な麻酔を用いて、気を逸らすだけです。 一体どこの誰に、何を伝えたくて生きているのか? 私にとって「君」って誰なのか? それすら解らないままに「何か」が巨大な気配となって攻め入ってくる。私はお伊勢さまに脳を操られた農民のように、えらやっちゃえらやっちゃヨイヨイと小躍りするばかりである。なむ。 ヽ(`□´ )ノ やっちゃ やっちゃ。 |
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