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ホワイトブレス  2005年08月29日(月)
狂うがいい。



マラリアで心臓を撃たれてのた打ち回り、アフリカと同じ熱さに脳の中を掻き乱されて意識を混濁し、永遠に苦しみ、狂うがいい。お前のための音楽がやがて鳴り出す。狂うがいい。やがて音楽は幻聴ではなく本当に止まなくなる。鼓膜を金具で突き破っても、だ。



白いサハラが脳を呼んでいる。かろうじて意識はその砂漠を読んでいる。高熱で眼球は朦朧とする。階段が永遠に続いているような不穏さに怖くなって大きな声でお前は泣くだろう。その鳴き声につられてより多くのハマダラカが飛んでくる。マラリアはもっと感染する。


救われる道は断たれた。狂うがいい。お前はもうエイフェックスツインを聴くことは出来ない。ただ蚊の羽音と、脳髄が焼ける音と、髄液がマラリア原虫によってぐずぐずと吸われる音だけを聴きながら生きている。それらの音の恐怖から逃れ、唯一の希望を手にするために、お前は砂漠がサラサラと涼やかな音色で砂を流す音を耳にしたがるだろう。手にした希望を聴覚に宿すために脳は真剣に、幻聴を現実に換えようとする。


真っ白な砂漠に、理性を失い、そして、狂うがいい。




スピード・スナップ・スナイパー  2005年08月12日(金)
速度の瞳となれ。
空気の壁を突き抜けた速度の世界は
夕焼けのようにオレンジにたなびく。
その緩やかな空気のたわみを
更なる速度で
その瞳で
突き抜けろ
永遠に!!!!


私の両眼は
一つの機械に収斂され
薄く美しいレンズが鼓動を起こす。
速度、
60分の1秒?
125分の1秒?
250分の1秒?
いや、
8000分の1秒、
晴天の中に世界は凍結し、
雨天の中で世界は真っ暗になり、
曇天においては世界は実にブレを起こし、
決して我がものにはならない。
その速度と光の最も合致する、
最高に突き抜けた瞬間を目指して
スナップショットを繰り返せ
永遠に!!!!


速度の瞳となれ。
いかなる世界の状況ならば
どのスピードでそれを透明に凍視できるかを
理解し、
判断し、
繰り出すんだ、
私の意志で
機械を伴って、
イオス5で足りなければ
イオス1を用いて、
世界に速度で挑むんだ、
永遠に!!!!



私はフォトグラファーだ。
しかも 写真道を全て踏み外し、
もはや 後戻りはしない!

私は私を魅了し、突き動かした速度にのみ従う。
それ以外の全ては、愛ですら 不純物だ。

愛で写真を撮るには幼すぎる。
胎児の細胞が胎動する速度は、
愛や情や哲学を理解するよりずっと速い。
私はあらゆる理解ができないまま
ただ原初の速度で
白夜の太陽のように真っ白になって
戦いを挑みたくて仕方がない、
永遠にだ!!!!




(^−^) ※作者には いろいろな まちがいがあります。




夢に捧ぐ  2005年08月11日(木)
夢に捧ぐ。この情念の力。羊や獅子や鳥の羽や蛇が融合した魔性の力を。夢に捧ぐ。夢はその魔性を取り込んでゆるやかに溶かし、輪郭がなくなり、伝わるまで伝わった後、その夢は強烈なディストーションを起こしながら一個の魔獣となって動き出す。やわらかな霧のようだった夢はもう具体的なクライシスの形をとり始める。私はそれを駆って『日本昔話』の冒頭で出てくる龍に乗る子のようなことをする。でんでん太鼓をぱんぱん鳴らして暗闇を魔獣で駆け抜ける。近所のカネコ商店やリカーショップ・ママーを破壊し、大通り沿いのアパマンショップもついでに破壊する。その向かいにある六時屋タルトの大きな店もぶち壊す。クリーニング屋も残念ながらぶち壊す。手を緩めたりはしない。魂は常に躍動し、ダウナーの更に下を目指して悪性の腫瘍を育むようにしてビートを打ち込むのだ。私は松山に住むべきではない。これを読んだ者は私を東京に連れ出すように。壊すべきものがちんちん電車とタルト屋と近所のクリーニング屋しかないのだ。ないのだよ。わかるかい。バンコクは違った。徒歩では回れないぐらい広く、巨大な高密度の都市が立ち上がろうとしている最中だった。あれが東京都心と同様の構造生物と化すにはあと十年はかかるだろうが、可能性を感じた。やられたよ。惚れた。私は構造に弱い。惚れたら全てを捧げたくなるのが愛というものだ。だがここ松山の暮らしにはそのようなものはない!だから私は不埒な夢の形で変な妄想を抱いたままそれとまぐわってああんであああんあんあんああんなのだ。結果、こんな憎悪と鬱血のあれになってしまったわけですが、こんな私が人間として真っ当に、コントレックスのような力強いエネルギーを流動させながら生きていくには、もう、都市と戦うしかないのよね。これは女言葉で言わせてもらいますけど、もうそうでないと、だめなのよね。ああ、もうすぐバンコク・ラオスのモノクロ写真が仕上がるわ。これがもし多少は救いになるものなら、ばら撒いてくれるわ。全然だめなら、今度は、ふふふ。どうしようかしら。惚れたら負け、それがこの世の掟。イオス1でしょうか。この内に暴動する魔性を抑えることはできないのよ。ああ。バブー




摂氏百度誤謬  2005年08月09日(火)
青く透明な氷がばきばきと水の分子の動きを止めて、そこにあるすべての水分子が氷と化してしまう、その音とともに、おれの世界は摂氏零度を下回る語彙で回りだす。


ダフィネルリンベガ。偽造ミートボール。非フィリピン系ロシア人。生カステラ焼きカステラ冷やしおはぐろ赤ちんこ。グリフォンの呪い。スコータイ朝の変態。はまぐりの脱毛。知人の結婚の引き出物に贈る土鍋と傍迷惑。優待券で観覧車。ゴムをダムにつめてバム鉄道。アパ万章。はぐう。


おれはこの世を彷徨う一個の瞳となり、速度感だけが網膜の奥で疼き、きりきりと光の刺激が獰猛な盲人だった頃の若き狼の日々を思い出させる。あたたかい米のめしを食えるようになったのはいつからだ!貴様は目玉だ!ただの瞳だ!忘れたのか!貴様は人の愛やおんなの体の良さよりも先に、視界に入る高密度の構造に全ての快楽を捧げていたのだ!生きる意味すらも投射して!


氷はそして外界との接点から再び溶け始め、今度は太陽を直に見詰めすぎるあまり、急激に高温へ向けて目盛りがカーブを描く。摂氏百度で誤謬が始まる。


救急車が襲ってくる。早く乗れと手を差し伸べる。時速百キロで私と並走しながらそんな。白くて甘い感触がする。解除を命じられた日本刀が抜き身で時速三百キロを出しながら追い抜いていく。蛍光灯に群がる蛾を蹴散らしてアトラスのカブトムシが黒光りする体で羽音を立てる。高速道路は終わり、田舎の民家の居間に移る。霞を食って年を経てきた老婆が怪しい音を立てる。それはキリギリスと人間の相の子を呼ぶための合図音だった。老婆は山盛りの大麻を勧めてひゃあひゃあと笑う。私はそれを時速百キロで通過し、景色はまた一変する。高級娼婦が旦那衆の指名を待つ控えの間で一人の婦人が「私、風水に凝っているの」と黄色い財布を出して、自慢げに笑う。それは風水ではなくいんちきだ、いんちき商法に引っ掛かっているのだともう一人の若い女が言う。馬鹿にされたと思ってその婦人は小銭入れをパチンと開けて「なによ、わかいだけのくせに」と小銭をぶち当てる。不意の銭投げを食らった若い女はきれて「御用だ!」とわあわあ喚く。その薄暗い一室の光景も私は時速百キロで通過する。次に現れた光の中には私の愛した人が居た。彼女は遠く離れた私に、暗闇の中で右手をすうっと振り下ろした。視界が真っ二つに割れ、私は自分の内向的な速度が完璧に切り裂かれるのを知った。辛うじて残った視界の感触の中で、彼女はもう片方、左手を宙にかざし、無言で静かにまた振り下ろした。速度をなくした私は今度は光を失い、あらゆるものが暗闇になった。彼女は見えなかったが、彼女は両手を重ね合わせて心臓に鼓動を送るような形でそっと私の存在に向けて一拍を打った。それは私からあらゆる異常な温度を奪い、私を現実の現世へと送り返した。

おれは生身の体で正気の自分を以って目を覚ました。夢をもっと見させてくれないのか。摂氏の異常な世界が一瞬一瞬で垣間見せるおそろしく愉快なあれやこれを愉しませてはくれないのか。それに耽溺するおれは大切なものから別れを告げられるだけなのか。ならば構うまい。おれは全身のカロリーを妖気に換えて、高野山の修行坊主のふりをしてこの眼球に妙な速度感を集中させた。溺れてしまえ!盆の過ぎた太平洋で!かつおのえぼしの えじきに なるがよいわ! おれは一気呵成に再び摂氏百度の誤謬へと立ち戻った。わああ わああああ。だああ。だうあー。



※ 作者は いやなことがありました。




○7/30〜8/6;バンコク&ラオス  2005年08月06日(土)
(^−^)もう旅から帰ってきてしまった。


(^−^) はやい   



(T_T) ないちゃう。


○7/30(土)

朝7時台の便で松山→羽田。しかし成田からバンコクの便は午後18時台。時間あまった。東京で撮影だ!

はあはあ


あつい。


うなぎをたべました。 あつい あつくてしぬ。

昼2時、東京駅から快速で成田へ。16時半、ミズカミ氏と合流。搭乗。
6時間後;タイ時間23時、到着。タクシーでカオサン通りへ。
ゲストハウスが満員。近所のちゃんとしたホテルに宿泊。一泊1000バーツ。

○7/31(日)
午前中、カオサン通りを散策。ミズカミ氏、おんな遊びのできる店を求めてチャイナタウンへ。同行。

チャイナタウンで迷子。盛大に迷子。あつい。これはしぬ。うう。あせがとまらない。

おんなあそびの店は昼からしか開かない。
昼食は高級中華料理屋。燕の巣、ふかひれ、チャーハン、蒸し牡蠣。シンハビールが美味しいよー。わはは。

タクシーで空港へ。14時半の飛行機でラオスに。
小一時間で着く。水田と森と小さな集落と未舗装の道の国。

ビエンチャン市内へ移動。ゲストハウス;オーキッド。隣はコンビニ。何でもそろう。
すぐ前がメコン川。歓喜のあまりギターをかき鳴らし、くさを求めて外へ飛び出す。

夕暮れの街角で、おっさんに声をかけて交渉すると、大量のくさ(2パケ・600バーツ)を入手。早速、宿に帰って一服。

夕食は肉とか色んなもの。ふらふらする。部屋に戻ってジョイント大量生産。ダウンに入って寝てしまう。ひたすらだるくなる。

○8/1(月)
ビエンチャンにとどまる理由がなくなり、バンビエンを目指す。昼13時半からのツアーバス利用。というのもバスターミナルの公営バス利用方法がいまいち分からなかったため。

片道3時間程度、山を延々抜けてゆく。途中トイレに2度停車し、集落の便所を借りる。発展途上のすばらしき香り。

夕方、バンビエン。小さな観光村。凝縮されたスポット。西欧人の多さが目をひく。みんなレストランの座席でクッション敷いて、テレビで映画観て、だらだらしまくり。時間の流れが止まっている。だらだら。だらだら。だらだら。

日本人旅行者にゲストハウスで出会う。一緒に夕飯。川魚がうまい。わはは。わはははははは。


○8/2(火)
朝飯を大量に食べ、昼食も大量に食べ、合間にくさをばんばん吸ったら、おそろしくだらだらとダウナーに入り、なにもできませんでした。うう。

夕飯の後、店員と交渉。せいろがんのような茶色いのを買う。飲んだら眠れなくなり、延々と踊ったり日記を書き続ける。ミズカミ氏「お前が暗い部屋でえんえん踊り続けるもんだから殺されるかと思った」それはすまん。


○8/3(水)
一睡もしていない。眠くなりそうでならない。うう。食欲も大幅にない。ううううう。

洞窟ツアー、サイクリングを計画していたが、現地の若者に振り回され、阿呆のような時間をすごし、なにもしませんでした。てへっ。

夜、また茶色いのを飲む。一睡もしない。てへっ。


○8/4(木)
ミズカミ氏「もうこれで、お別れなんだよなー」 いとしそうに残りのくさを吸う。3〜4本吸う。吸いすぎ。「これ、日本に持って帰れないかなー」やめてください父さん。

朝9時のツアーバスでビエンチャンに即刻戻らないと、バンコク行きの飛行機に間に合わない。これは大変。しかし色んなゲストハウスを回って客を乗せてから出発なので、バンビエンを発ったのは実質9時半以降。間に合うのか。どきどき。

ビエンチャン市内に入るときに空港を通り過ぎたが、「ここでとめてくれ」と言わなかったためメコン川沿いまでわざわざ運ばれ、そこからトゥクトゥクで空港まで行き直すという恐ろしく手間なことをする。ぐはっ。なんやそら。

飛行機に間に合う。はああ。しぬかとおもった。
15時、バンコク着。再びカオサン通りのゲストハウス;マイハウスへ。

食欲がない。とてつもなく体がへんだ。反動がああ。ううう。眠気が段々、おそろしい形でやってくる。脳細胞を全て変な汚水で浸して、腐らせるような気配。これが・・・速度の後の後遺症か。私は仮眠。ミズカミ氏はおんな遊びの店。

7時過ぎ、ミズカミ氏と合流。夕飯にタイスキ。
サヤーム・スクエアの店「MT」でタイスキを。撮影してたらミズカミ氏とはぐれる。ああう。もう夜。まっくら。
食事の後、ミズカミ氏はおんな遊びの店に。私は一人で帰り、眠る。午前3時半、ミズカミ氏が帰ってきた。


○8/5(金)
とうとう最終戦。ここが正念場。
カオサン通りの地元のおばちゃんの店で朝食。白米にカレーや野菜の具を3種混ぜて入れてもらう。美味。

部屋に戻り、ミズカミ氏はおんな遊びの店で知り合った女性とデート。私は・・・後遺症の最大の波に陥って死に掛ける。眠る。目覚めると15時半。もう立ち上がる気力もない。こ・れ・が・速度限界・を・突き抜けた・あとの・すがた・か! なみだがでる。

カフェインを摂る。闘志が湧いたので撮影。イオス5で乱射。
ひたすら歩いたらチャオプラヤ川を横断するプラ・ピンクラオ橋を渡っていて、学校の前の通りにずらっと並ぶ屋台を襲撃。巨大な車道、高架道路が私の脳を刺激する。ああう。再び川を、ラーマ8世橋を歩いて横断。

20時、部屋に戻る。ミズカミ氏は17時には戻ってきていて、待ちぼうけ。わはは。
スクンビット;アソークへ行き、韓国料理を食べる。

二人とも、旅の途中から食べすぎにより胃腸を傷めており、ほとんど食べられない。「ビールは俺の麦茶だ」発言で有名なミズカミ氏も、1瓶空けたあたりで顔が紅潮。「あなた肝臓が弱ってるんすよ」もうぼろぼろ。

ミズカミ氏、最後の力で、よるのおんな遊びに行く。私は一人、カオサンに帰り、西欧人観光客を相手に撮影で戦おうとするも、0時を過ぎると急速に通りは人が減る。期を逃した。残念。


○8/6(土)
日本帰国の日。朝4時にミズカミ氏、あそびから帰還。「俺の香水がない」「香水ぬすまれた」以後くりかえし。はやくシャワー浴びてチェックアウトの用意してくださいお父さん。

4時半、タクシーで空港。交渉、200バーツ。まあよいわ。もう喋る気力もない。
手続きがスムーズに済む。タイ国内で高額の買物をすると7%の付加価値税が還付される。ミズカミ氏は革靴、シャツ、香水などをたんまり買ったので手続き。これでバーツが現金で渡される。フルーツジュース、ケンタッキーを食す。淫乱な雑誌などがないので本屋は退屈。

6時、搭乗。後はしんだように眠る。全ての疲労と後遺症が体を引き裂く。「おれは おれは ううう」なみだがでる。こんなに泣きたくなった旅は初めてだ。要は会社員なんかしているのがよろしくないのだ。私を高速の瞳として戦わせてくれればよいものを。よいものを。ああ。もういいよ。しらん。

夜22時、松山に着いていた。具体的に意識するのがとてつもなくイヤだったので、全部なかったことにして忘れたふりをします。松山って私、きらい。私は・・・具体的で現実的な自分の人生や生活が 死ぬほど嫌いよ。私は・・・ 東京の山手線沿線か、中央線沿いに住んで、ああ、もう言うのも馬鹿らしい。

次は どこに 行こうか。

そろそろ 写真の 技術と 瞳を 根源的に パワーアップしないと やばい。

自分のパターンに はまってるだけなら そんな写真 いらない。

いらないよう(^−^) わああああああ いやああああ。


もっとなんとか ならんのか!もっとこう 高速の果てを 一瞬で あああ








ここはバンビエン。  2005年08月03日(水)
私は今、ラオスのバンビエンという地にいる。ここでは2日目の滞在となる。西欧人向けの夕食屋が多く軒を連ね、ネオンが光っている。高床になっていて丸くふかふかしたざぶとんがあり、皆は天井吊り下げのテレビを見ながら飯の後をだらだらと過ごす。もうほんま、白人がだらだらしまくり。だらだら。あっちもだらだら。こっちもだらだら。ダー。

飯はピザ、チキン、麺、パスタ、カレー、現地風やさい料理など。ハッピーメニュー;スペシャルというものもある。これは大麻やマジックマッシュルームをブレンドしたシェークやケーキ、ピザなどである。そこいらの店で普通に定番メニューとして挙げられている。同行した友人がハッピーシェイクを飲んだがその後、宿でふらふらになり、「うひゃひゃひゃひゃらひゃら」「あひゃひゃひゃひゃらひゃら」等の難解な語を発して寝た。よくわからない。

私も、毎食毎食、ちょうしにのってパパイヤサラダだの、ヌードルウィズチキンだの、カリーだの、フレッシュジュースだの、ぽんぽん調子に乗って頼むものだから、あかん はらがいたい。 いたた これはくるしい。

しかし二人で4人分ぐらい食べても現地食堂なら支払いは400円台で済んだりする。ビーフステーキが200円。ジュース50〜100円。ラオビールのTシャツ250円。わはは。わはははは。


バンビエンは内陸の田舎で、西欧人が集まってだらだらするだけの小さな集落なので、基本的に日中、やることと言えば、洞窟探検とか川くだり。昼飯。散歩。以上。だらだらするしかないので私もよく寝ました。イスラエル出身の女に「日本人と中国人の外見上の区別を説明しろ」と執拗に訊かれましたが、「吊り目か、垂れ目か、それが違いだ」で押し切った。国際的なまちがいがあるようで ないような私。ああう。まちごうとる。

とりあえず問題は、写真である。
気合を入れて来たのはいいが全く必殺の一撃に至らない。出国の際、愛媛・松山から東京に来て、成田出発まで時間があったので、羽田、有楽町〜神田で試験撮影してみたのだが、なかなか・・・。営業員として教育されて、会社でぼんやりとしている間に、私は超高密度の都市的な眼を失ってしまったのか! 撮影のできない私など そんなわたしなど  わああ ぐすん。


あかん食いすぎで腹いたい
(ー.ー)




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