2006年06月30日(金)
高杉良原作
おそらく実話を元にした映画と思われる また、原作があるので映画化にもっていくには 楽な方向だともいえる
映画の内容は簡潔にいうと 中小企業に税対策として教えていたことが 国税庁の目にとまり あらぬ疑いをかけられる 当時のもろもろの事情により脱税容疑をかけられることになる そして主人公「飯塚」(滝田栄)は屈することなく 7年もの歳月を戦い抜く
と言うお話です
感想はざっと書きますと 人間関係は自らが望むべく方向で形成されていく モノではないのだと言うこと。 本人の行動が周囲の人をひきつけてそれを構成していくのだ。 如何にその人が信を置くのに値するか。これが無いと人は集まらないと思われる。 また、家庭にも信は発生しない。如何に愛すると言えど伝わらなければまったく持て意味が無い。さらに言うなら 伝えようとしても理解されなければしてないことと同義になる。すべてにおいて理解するかされるかそれこそが信を置くべき基準であり、人の中で核となるものなのだと感じた。 完全な点での理解は不可能だが理解する努力と信じる力は だれにでも存在するしそれを見限ることも可能だ。 いろんな人がいろんな場面でめをつむるが それこそ人の生き方だろうから、どれが悪いともいえないし。
主人公はそれらに関してはほとんど感じていないように思える。己の信じる誠を忠実に守りながら そして人をだまさない、自分に正直であるように生きている。 だからこそ、かれの周りには無意識にその要素を満たしているからこその友人、協力者があつまり支えられていく。
自分に有利な状態でもそれがいままで自分とかかわりのあった人に迷惑がかかるのであればあえて利用もしない。 劇中「彼・・・らしいねぇ」といわれるところなど うなずきっぱなしだった。
人の私利私欲はあって当たり前だ。ただ、それが全部が全部私利私欲になっているなら人として終わっている。 私利私欲はまず先にあるもので、その先には誰かいる。 それを見据えたとき、自分以外の人がどうなるのか それをよく考えて行動しなければいけないのだ。
唯一の泣き所 息子が父親に手紙を持ってくるのだが 内容が冤罪になりそうな父親を信じ続けると言う 内容なのだ 「〜自分はお父さんの子です。お父さんはいままで嘘をついたことがありません。そして僕たちもそれを知っています。 だからお父さん胸を張ってください〜」 とか言うことが書いてあった。 瞬間時が止まった。 涙の流れ方がゆっくりになった。 親がここまで信じてもらえるなんてなんてすごいことなんだろうかと。
------------------------------------------------------ 非常に残念だったのは 映画館内俺を入れても8人しか居なかったのに 足を前の座席に投げ出しつつ 笑いどころでもないのにさらうやつが居た。 あたかも原作を知っているのだろうなと言う見方。 事あるごとに笑うのだ。セリフ毎に。 しっているなら、そんな見方をしに繰るなら見ないで欲しかった。 笑う映画でもないのに。 悔しかったので、映画を見つつそいつの観察も始めた。 こいつどうでもいいところで笑うくせに 主人公が
「私はまちがったことはやっていません。 やっても居ないのにやったと言うのは私に死ねというのと同じことです」 と言った時こいつ止まりやがった。 なんだおまえ? 興ざめだよなあ。共感もできないところもたくさんあるだろうけどマナーも守れなくて、自分の中で共感があるところは だまるなんて。 まあ、俺が行きたいのはあまりやっていないんで ある程度そういうのは覚悟しているのでいいのはよいので。 まあ、今度見つけたら直接何か要ってやる
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エンディングテーマがすっごくかっこよかった
久しぶりに家族愛でないてもうた。 よかったです。 地味なんですけどね・・・・・。 ------------------------------------------------------ 次はウルトラバイオレットです たのしみなり ------------------------------------------------------
今日は棚卸でした。 9時10分には終わった らく〜
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