起床午前五時半。 昨夜は23時、4時の二回起こされた。 朝はまだまだ寒い。
朝食、ブレンドごはん、味噌汁(舞茸、ワカメ)、ハムエッグ、ほうれん草のソテー、お揚げと小松菜のたいたん。エスブレッソ。ヨーグルト。
ルルの定期処置。持参した文庫はデュラス。 デュラスの「ラマン」に好きな文章がある。
『すると男物の帽子の下で、みっともないあの痩せた姿、少女時代に独特のあの欠点がまるで違って見えた。
みっともないあの痩せた姿が、運命として自然から乱暴に与えられたむき出しの姿であることをやめてしまった。
そんな自然のままの姿を積極的に拒んだもの、まるで正反対の、精神によって選びとられた姿になったのだ。
まあ、これがのぞみだったんだわ』
昼食、トースト、バナナ、イチゴ、昨夜のピザの残り少し、牛乳。 「精神が選びとった姿」という言葉から想像力が羽ばたいていく。
夕食、挽肉団子とはくさいとタケノコの鍋、タケノコごはん。
「精神が選びとった姿」 それはよく小説の主人公の生活に現れる。 作家も意識している。
今日そのことを考えていて、例えば江國香織さんの作品に登場する様々な主人公を想い起こした。だけどもっとも強烈に想ったのは多和田葉子さんの「旅をする裸の眼」の主人公だった。
精神が選び取った姿というのは大抵、痩せていて、ひっそりとしていて、色も言葉も少なく、しかし姿勢がよく、清潔である。と、そんなふうに考えている自分を発見した。
たとえば川久保玲の創る服。山本耀司のシャツ。これも精神が選びとった姿として登場しうると即座に想った。 残念ながらぼくにはサイズのないこれらの服には、これらに倣って自分の服に応用したい感覚があふれている。
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