起床、午前四時。昨夜は早めに寝たのだけれど23時からほぼ2時間おきにハナに起こされた。だけどもよく寝られた。起きてすぐにエスプレッソ。
朝食、赤黒発芽白米、赤だしの味噌汁(わかめ、舞茸)、小松菜とおあげのたいたん、ヨーグルト。
昼食、トースト、バナナ、ノンホモ牛乳、イチゴ。
3時、エスブレッソ、チョコレートケーキ。
夕食、タヒチ風ビーフカレー、エスブレッソ。
●昨晩は高橋源一郎さんの「神話的時間」に関しての連続ツイートにいたく感激した。そのなかで多田富雄さんの「残夢整理」の最後の文章が紹介されていたのだった。このエッセイは多田さんの最後の作品であり、「新潮」に連載されていて、ずっと注意して読んだはずだったのだけれど、高橋さんが紹介している文章に思い当たる節がなかった。
もとよりこのエッセイは多田さんの生涯の中で永訣されていった方々のレクイエムという側面が強く、まさに「残夢」を整理されていっていたのだと理解していた。
強い印象を残す人たちばかりで、ぼくにはぼくで抜き書きしたい文章も読むべくメモした本もあった。しかし高橋さんが紹介された文章がわからない。 そこで家の本棚の横に平積みしてある「新潮」をかたっぱしにひっくり返す作業が始まってしまったのだった。
むろん心のどこかに …この文章は単行本となるにあたって加筆されたのではあるまいか… という思いはあった。
連載開始が2009年1月号。連載完結が2010年三月号。 当該の文章はなかった。
この文章を探すために全部読み直した。やはり胸が詰まるほど、亡くなった人たちの生き様、そして死に様が精緻な素晴らしい文章で綴られていた。
高橋さんが紹介されていた文脈でいうならば、この連載は「神話的時間」の記録であり、同時に「残夢整理」の執筆もまた「神話的時間」であったのであろう。
高橋さんの連続ツイートのログはまだ残っているかどうかわからない。
ただ高橋さんが、多田さんはこの中で「死者」と会った、と書いていることはここに記しておきたい。 比喩やフィクションではなく多田さんは、間違いなく「死者」と会ったのだ。会話を交わしたのだ、と。
もちろんぼくは単行本を買う。 最後の最後に書かれた文章に会うために。
「漱石とその時代第一部」182p 「うつろ舟」132p 「神話の力」105p 「カーリーの歌」126p 「デス博士の島」42p 「火山の下」90p
Blue Jade / Eddie Ban
|