散歩主義

2009年03月21日(土) 心が折れる

WBCでのイチローの苦闘は続いているようだ。
一進一退が続いている。
35歳という年齢を考えなければならないという指摘までではじめた。
まったくダメというわけではない。ヒットも長打も、固め打ちではないにしろ、出ている。
イチローだからとやかく言われてしまうのだ。他の選手ならこんな騒がれ方はしない。

技術的なことや肉体的なことは本人が一番わかっているのだろう。
どう立て直していくのか、ファンとして、傲慢かつ残酷にもその過程を見たいと思ってしまう。

世界的なプレーヤーとしては福本も長嶋も35歳がターニングポイントだった。イチローがどのようなスタイルに変貌を遂げるのか。あるいは生活のスタイルを変えるのかどうか。
同時代を生きるスーパースターの生き様を見まもっていたい。

そのイチローの口から「心が折れそうだった」という言葉が出た。
凡退を繰り返した後、ようやくヒットが出たことについて、そう答えた。
そのヒットが出ていなければ「心が折れていた」わけだ。

イチローの口から出た言葉で、ぼくが聞いた中ではいちばん苦しい言葉だった。


ところで。
人はいろんな場面で「心が折れる」。それをどうリカバリーするか。あるいはしないか。

折れようが折れまいが、人生はお構いなしに続く。なんとかしようと思うなら、まず「折れた自分」をちゃんと認識しなければいけない。


仕事や対人関係で折れるのはまだいいほうだ。逃げようがないのが病気と老いである。

介護は少なからず、なんども心が折れる。
しかし、立て直さなければ介護にならない。
介護される方はもっとひどく心が折れていまうし。

自分がどれほど残酷なのかということを思い知らされたりもする。
知恵が問われ、心が試される。

お互い精神的にも肉体的にもかんたんに潰れるわけにはいかないのだ。
そんな日々。
別にかまわない、と考えた瞬間から心は折れるどころか、摩滅する。
消えてなくなる。

折れたままでいいから、だましだましでいいから
なんとか自分を支えなければならない。

みんなそうやって暮らしているのだと思う。


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