| 2009年01月20日(火) |
「日本語」に関する二冊の本 |
昨年は、「日本文学」を読むものと書くものに対して、少なからず熱い反応と波を起こした評論が二冊発刊された。 一つは水村美苗さんの「日本語の亡びるとき」。これは主に小説と国語教育に対して書かれたもので、この場でも何度か書いた。現代日本文学に対しての厳しい批判も書かれていた。
もう一冊は吉本隆明さんの「日本語のゆくえ」である。 この本の最終章が特に波紋をよんだのだ。ここでの若い詩人に対する批判は強烈である。ほとんど全否定のように読める。
いわく、芸術や社会に対して関心がない。芸術的表現になっていない。自然に対する感受性がない。何によりそのことに対する危機感がない…。 強烈だ。
ところで今、吉本さんの「詩の力」が文庫本として発売されている。 こちらは評価される詩人がずらりと並んでいる。田村隆一、谷川雁、吉岡実、吉増剛造、さらに松任谷由美、宇多田ヒカルなどなど。
この二冊を併せ読んでいると、吉本さんの「現代詩」に対しての姿勢がおぼろげながら見えてくる。新たな言葉の地平のために、ダイナミックな力を要請しているようにおもえてならない。 「詩の力」が要請されているのだ。いや「力」がなければたぶん詩ではない。それぐらいの迫力で若い人を励ましているのではないだろうか。
その「力」とは何か。結局は自分を含めた世界を読み、本を読み、自分で書く以外にわからないように思う。
このような水村さんと吉本さんの二人の本だから、当然批判もある。 同じような反応として「アナクロだ」というものをみた。 だけど「アナクロ」だからどうだというのだろう。そこまで踏み込んで書かれたものは読んだことがない。 「古くさい」のか?だから?
この二冊はとても強烈なので、ぼくのアタマと体では、うまく反応できていないかもしれない。だけど何度も読み返していこうと思う。
そういえば今日のNHK「私の一冊」はC.W.ニコルさんだった。 彼の大切な一冊は、開高健の「輝ける闇」だった。ニコルさんは来日前にこの英訳本を読んで衝撃を受けたのだという。 「いい文学は翻訳されても良さは消えない」そのことを強調する姿が印象的だった。
さて金曜日には連載をお届けするわけだけれど、こんなふうなので一度書いたものをバラバラにしています。 なんとか間に合わせます。
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