「ぼくはブログは書きません」といったのは姜尚中さんだった。 久米宏の「TVってやつは」の中でだった。 ホリエモンとのやりとりの中で「カンヴァセイションがないから」といったような理由だったかな。
ちらりとしてしか見てないから、理由はおぼろげなんだけれど、「ブログは書かない」ということははっきり聴いた。姜さんのいいたいことは肉体をともなった会話こそ、より実りがある、ということなのだろう。一つの話題からおもいもよらない様々な事象が会話や討論の中で立ち現れることなのだろう。
ネット書店を検索するのと実際の本屋さんを歩いて廻るのとの違いのようなものかな、と理解したんだけれど。
それとぼくの回りで、ブログを通じて他人の日常なんか知りたくもない、という意見が大勢います。わかります。ほんとになんなんだブログ、と思うことがあります。
そんなこんなでぼくの日常ですが…。 土曜の朝も定番があって、やはり8chで8時20分過ぎぐらいに「どようびのにゃんこ」を見て和み、そのあとBS2で「週刊ブックレヴュー」を見るのです。 「週刊ブックレヴュー」はおもしろかった。今回の評者のひとり、文芸評論家の石川忠司さんが、いちいち優しくツッコミをいれるのが特に。 石川さんが推薦する今年の文学界新人賞をとった「いやしい鳥」の作者、藤野さんは同志社大学出身でした。知らなかったな。 本のレヴューを聴いていて、先ずぼくは読まないだろうな、とは思いました。 読書の傾向としてタイプが違うので。 ちょっと小川洋子さんに似ているのかな、とも思ったけれど。
今読んでいるのは、文庫化された「ダックスフントのワープ」藤原伊織、文庫で「すばらしい新世界」池澤夏樹、「新潮」12月号。 定期購読している「新潮」のほうに山崎ナオコーラさんの短編が掲載されていて嬉しくなった。これも読みます。
最近では文芸雑誌でもCDがついていることが増えてきていて、「新潮」では今回、小林秀雄の講演会の貴重な音源がついてきました。 これについての茂木健一郎さんと白洲信哉さんの対談もとてもおもしろい。 茂木さんは「声」という「肉体」に触れる体験をとても大切にしていて、特に小林の声に出会うことはほとんど奇跡的な体験なんだ、と。 たしかに声が聞き手の内部におこす「何か」はある、と。聴いていてそれは感じました。
「新潮」に附いてきた「CD」としては過去に古川日出夫さんの詩の朗読のCDがありました。美声に驚いたことを憶えています。
ところでミクシィラジオでお金を出してもなかなか買えないジャズやブルースのとても古い名曲をよく聴いています。 テープやCDも肉体の生んだ表現の貴重な記録でもありますね。
小林秀雄が名著「モォツァルト」を書いたとき、SP盤でしか聴いたことがなかったというエピソードからも、なにを聴いたか、というのもある程度大切だけれど、感性と想像力をどれだけ研ぎ澄ますかということこそもっと大切なことだとおもいます。熱を孕んで対象を抱きとめる精神、というか。
世界や人の本質、豊かさ、美しさに触れるためのコツなのかもしれません。
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