月刊「新潮」に連載されていた池澤夏樹さんの「カデナ」が10月号で完結した。もう先月のことだけど。 全16回のすべてをもう一度読み返そうと、机の上に「新潮」を積み上げて順番に読んでいった。
池澤さんの作品には時の流れと地理の配置を特に意識させられることが多い。俯瞰したり接写したり、視点の移動がたのしい。
「カデナ」はタイトルどうり沖縄の米軍基地が舞台の中心。そこに交錯するおもに四人の男女が交代で「語り手」になる。 毎号の冒頭にその回の語り手が太字で書かれるのだ。
それぞれが歴史を持ち、背景を持ち、考えを持つ。「四つの一人称」に囲まれたまん中に四人が織りなしたドラマがある。 その見え方が面白いし、物語の厚みになっている。
「沖縄」は「アジアのクロスロード」とたとえられることがある。 海で繋がりやすい地理なのだ。だから中国、韓国、東南アジア、そして本土から人が往来する。そのうえアメリカだ。
「カデナ」に登場するのは沖縄人、ベトナム人、アメリカ人、フィリピン人である。そして前述のようにそれぞれが「物語」を抱えて人間関係が織られていく。現実もそうであるように。
そして結ばれた関係はやがて解けていく。何かを成し遂げているのかも知れないし、そうでないかも知れない。 結果的にだれもが平和と生命を尊重していたとしても、それは大上段に意識されない。あくまでも個人として、生きてきた経験と背景からの言葉であり行動なのだ。それは作品を貫いている。 これは重要なことだろうと思う。 この「作品後」も、彼らひとりひとりは、それぞれに未知の人と関係を結んで、生きていくのだろうとしっかり思わせてもくれるのだ。
「小説とは人と人の関係を書くもの」というのもテーゼの一つだと、かつて池澤さんが金原ひとみさんの「蛇にピアス」を芥川賞に推す理由として書かれていた。「カデナ」はまさにそういう小説だった。
ここのところ池澤夏樹さんの本ばかり読んでいる。ミクシィに書いたレヴューも池澤さんばかりになりつつある。 文章が美しいのも好きな理由だけれど、とても官能的であるとぼくは思う。誰も書かないけれども。
いま「すばらしい新世界」を読んでいる途中。 続いてこの続編にある「光の指で触れよ」を読む。 そのあいまにも短編をつぎつぎと読んでいきたい。
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