散歩主義

2008年08月10日(日) 散文的な時間の中から

■ブログの一つとして使わせてもらっているAmebloのコメントが酷いことになっている。アダルト系のものが凄い数でつく。パソコンを立ち上げるとその削除からやらないといけない。消耗。■アメブロの草創期からこのブログ・サービスに参加し、「アメブロ文芸系ブロガー」のリーダー的存在である山川健一さんのところはコメント禁止になった。氏が書き込んでいたその理由もやはりアダルト系の書き込みの多さによるものだった。■もう一つメルマガ読者にだけ告知しているFC2のブログにもアダルト系の書き込みが多い。■「禁止IP」の設定をしてもいたちごっこ。その都度変えてくるからアメブロとFC2からはこの手のコメントはなくならないだろう。■FC2のブログからのコメントを知らせるメールには、アクセスしただけで削除できるアドレスがついているから簡単に消せるけれど、アメブロは結構手間がかかる。■はてな、MIXIにはさすがにないようだけれど、MIXIには怪しい「あしあと」が結構つく。■SNSが増えていくはずだ。


■今読んでいる「日本語が亡びるとき」水村美苗がとてもおもしろい。この稿は筑摩書房から出る同タイトル、全七章のうちの三章が「新潮」に掲載されたもの。言語と文学をめぐり「世界と時間」を軸に展開するスケールの大きな論考だ。読んでいると意識が拡大する。それだけでも凄い。

■意識が拡大する、というとGoogleのstreet viewも或る意味凄い。東京と京都、大阪という僕にとってなじみにの土地がすでにカメラに「舐められていった」ようなのでアクセスしていろいろと観た。懐かしの場所、住んでいた場所を現住から観ているというのも、妙な感触がする。
友人は「のぞき趣味」と一刀両断。そういう感想も当然だろうと思う。
■だけどたぶんこの流れは止まらないと思う。Googleは範囲を拡大していくだろう。

■このstreet viewを観たときの感覚と「日本語が亡びるとき」を読んでいるときの感覚が似ている。■ああそうなのか、という感覚。「普遍」というものの凄み、強さ、そしてそこへ流れていくどうしようもない「どうしようもなさ」など。■今日発売の文藝春秋には芥川賞を受賞した楊さんの作品が掲載されている。日本語で書く中国人。ぼくは楊さんの作品は好きなのだけれど、これが何故中国語で書かれないのか、ということと、日本文学が美苗さんの論考に出てくる世界の中の「主要文学」であった(今もそう?)ことを思わずにはいられない。■ちなみに「日本語の亡びるとき」は言語学者が言うような、その言語をしゃべる人が一人もいなくなる、という絶滅を意味してはいない。


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