日本に漫画の傑作は数々あれど、ここ数年ぼくがつかまっているのは、井上雄彦である。特に彼の「バカボンド」だ。 「スラムダンク」という名作もあるけれど、「バガボンド」は位相が違うとさえ思えるほどの迫力がある。
原因のひとつはある時期から画が面相筆で描かれるようになったこともあるだろう。なんともいえない質感が画面に流れていて、精神性の暗示や肉体の動き、スピード、バランス、存在感があるレベルを超えて表現されているように思えるのだ。
「精神性」とか「存在感」とはつまり、曰く言い難いものを画で表現しきっていることをさしている。
刀で斬る、ということはつまり「殺人剣」なのだけれどこの長編は進めば進ほど殺人という「気」から遠くなっているような気がする。 むしろ人間の修養としての剣に向かっているような。
原作は吉川英治の「宮本武蔵」だけれど、「バガボンド」はそれを大きく逸脱し、もはや井上雄彦の「宮本武蔵」となっている。(特に小次郎の設定はまったく異なり、それが実に深い味を出していはしまいか)
「バガボンド」がただならぬマンガだと、ぼくに強烈に焼き付いたのは10巻、11巻だった。柳生四高弟、柳生石舟斎との対決である。 このぎりぎりの緊張感を突き抜けた集中の極みの描写は、もはや「Trip」。「瞑想」の境地としかいいようがなかったのだ。
この作品と井上雄彦は日本の漫画史に巨大な足跡を残しているとぼくは思っている。
今、東京・上野の森美術館で井上雄彦の「最後のマンガ展」が開催中である。7月6日まで。漆黒の墨で描き出された武士の面構えを見ることができる。
ぼくのように観に行けない人は現在発売中のBRUTUS「緊急特集 井上雄彦」を読んでいただければ、その一端を知ることができる。
ところで、「バガボンド」にはネームの入っていない、顔のアップだけの画面が頻出する。あるいはストップモーションの。その顔がいい。姿がいい。それらがいかに雄弁に微細なニュアンスまで伝えていることか。 ストーリーは「ぶっ飛び」。言葉は消える。
それに対する彼のコメントも掲載されている。 ちょっとだけ引用すると 「……もともとぼくは”ストーリーなんかなくたっていいじゃないか”というところがありますし、物語展開の妙みたいなものよりも”今”を切り取るような物語、プロセスの連続でもいいんじゃないかという意識がより強くなってきています」
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