散歩主義

2008年05月31日(土) 林英世さんの小説の朗読をききにいく




 朝から雨。細い雨なのだけれど切れ目なく降っていた。
 ちょうど昼過ぎから西陣へ小説の朗読を聞きに行くので思案していたらば、雨が突然上がった。

 舞台は今出川通り浄福寺通りを上がったところにある、(正確には五辻通り浄福寺通り上がる)西陣ファクトリーGarden。
その名のとおり、かつては典型的な西陣の織りか染めの町工場であったろう建物を、骨組みはそのままに中を吹き抜けにした、こぢんまりとしたスペース。20人も入れば満員だろう。
 
演者、つまり語り手は林英世さん。大阪でみずから演劇集団を主宰する女性である。

 朗読にはとても興味がある。
 それでなくても、途中まで進んでる原稿を日を変えて書き継ぐ時、たいてい冒頭から黙読する。おかしいところがわかるし、読んでしっくり来なかったらすぐに書き直す。
 (今までは時間がないと省いていたけれど、これからは必ず音読でやることに決めている。)

 これは久世光彦さんのやり方に倣ったもの。久世さんは音読をされたというけれど、ぼくはよっぽどの時でないと音読をしなかった。音読の方がいいのはわかっているけれど、他の人にしてみれば騒音なのだ。

 声をだして気がつく。それはもうしょっちゅう。気づくことはそれこそ多彩だ。

 さて演目はステージごとに変わる。
 用意されていたのは松本清張「二階」と山本周五郎「あだこ」。
 ミステリと人情噺。たしかに声によるパフォーマンスならばこの二つの系統でないとメリハリがつけにくい。
 ぼくは「あだこ」を聞いた。

 淡々と時系列をなぞる作品ならば容易に朗読にのめり込んでいけるけれど、山本作品には珍しく、時が前に行ったり元に戻ったりする。
時制の変換の時、本文なら二行あけだろうか。朗読は息を継いで意図的に間を置かれている。

「じつは」「じつは」と種明かしされていく構造は下手をすると説明的になる。
けれど、シーンの一つ一つがくっきりと描写されていて、しかもメリハリのきいた朗読だったから、リアル感を失わずに物語は進んでいった。

ただ、聞いていて山本周五郎作品ってけっこう強引だな、と感じた。
これは初めてのこと。
作品の端々に作者の頑固さうかがえるのだ。それもはっきりと。
読者をぐいっと力ずくで引っ張るポイントがある。
これは朗読を聞いたから感じたのだろうか。一人で黙読したていたら、肌に合わないところは流してしまう可能性が高いからだ。

 後半部分。登場人物の苦労は報われ、改心は行われ、一同皆笑う、という典型的な人情噺の結末へとたたみかけていく周五郎作品。
林さんの朗読も一層リズミックになって、声も晴れやかだ。
お見事。

およそ70分。2500円。価値をどう見るかはその人次第。
山本周五郎の短編を一冊読んで、ほぼ物語を憶え、林さんの肉体をつうじた「声」という表現を堪能する。
ぼくは高いとは思わない。

この公演は、京都では八回目の今回で一区切り。
林さんは東京に拠点を移される。
頑張って欲しい。

そうそう朗読といえばネット・ラジオ、ヴォイス・ブログで、湘南ラジオも無料放送していて、椎名誠さんの小説を何回かに分けて朗読していた。
そういえばぼくも「声函」を開けたままにしている。
また吹き込もうかな。

リクエストありますか?ないだろうけど。


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