2008年05月08日(木) |
村上春樹インタヴュー(中)/小学生の詩/オンシジウム |
■村上春樹インタヴューの「中」が京都新聞に掲載されました。 「物語を書くということは自らの魂の奥底にまで降りていくこと。そこは真っ暗な世界。生も死も不確かで混沌としている。言葉もなければ善悪の基準もない」 というのが「上」での結論でした。
で、今回はその「物語」は有益であると同時にとても危険である」という指摘から始まりました。魂の奧底の暗闇から抜け出せなくなってしまう、ということへの問題意識です。
その端的な例として「オウム」が語られます。 彼らを見つめながら、何故そうなるのか、何故抜けられないのか、どうやってオープンな世界に戻ってくるのか。 それを考えたのが「アンダーグラウンド」という作品であった、と。
そして教祖に言われるがままにサリンを撒く姿が、太平洋戦争の日本兵の姿とたぶるのだ、とも。
インタヴューにちらちら「日本軍」あるいは「日本人」の、あえて特殊な心性ともいえるような「ありさま」への言及が見えてくるようで、次作は…と余計な想像をしてしまいます。
結局、村上さんは「アンダーグラウンド」の仕事を通して「普通」の人の声が束になった時の説得力を信頼する、といいきれる地点に到達したのでした。 だからこそ、「普通の人」が戦争に引きずり込まれない社会を、と。
これを読んでふと思ったのは、ポール・オースターがアメリカ全土から「本当の話」ばかりを集めた仕事のこと。 オースターなりの「アンダーグラウンド」によく似たスタンスのあり方のように感じました。
オースターの方が村上さんよりも大胆にシンクロニシティーについて肯定的に語り、それにのっていこうとしている姿勢のように思います。
そしてもう一つは、今公開されている連合赤軍の映画のこと。警察側からの視点ではなく、連合赤軍の側から語られるストーリーの映画。 どちらが問題提起の質としてぼくに迫ってくるかというと、むろん赤軍側からのストーリーなのです。 それはそうでしょう。 何故「12人もの人間がリンチによって殺されなければならないのか」。
この問いかけこそ「オウム」にまっすぐ結びつくし、図らずも彼らが「軍」を名乗った時、彼らの精神の何かが崩れていったのではないか、と考えるのです。
今でも、1972年のまだ寒かった春、遺体が山で次々と発見されたという二ユースを聴いた時のショックは忘れられません。 歳が比較的近かったということもあるでしょう。 (赤軍が去ったあとの京都の大学については、現在訴追されている元外務省分析官、佐藤優さんの高畠氏についての文章(「新潮」に連載中)に詳しいです。 佐藤さんもぼくと同じく「全共闘から若干遅れて京都で学生になった」方です。)
「光函」という作品の冒頭に、そのニュースを聴いたあとの自分を登場させました。偶然ではありません。何もかも虚しいという気分からぼくはここまで何とか生きてきた気がします。
「上官の命令に逆らえない日本人」「暗闇から戻ってこれなくなった日本人」「そうなりがちな日本人」…。 「普通のひと」たちはいつもはオープンで、まったくそうではないのに!! 「普通のひと」たちは時としてとてつもなく残虐になる。かと思えば突然、虫も殺さぬほど優しくもなる。この謎。
謎というより、そういうものだとしたら、「生きる側」につくには。「生かす側」につくには、と考えています。
作品にしたいのもそこです。構想をずっと練っています。 長編小説。 時代は鎌倉初期、舞台は京都。登場人物。そこまでは考えています。
■今年いちばんの詩にであいました。 新聞の「少年少女の作品」に載っていた小学5年生の詩。 書き写すことは出来ないけれど題名は「わたし知ってんねん」といいます。
この柔らかさ。リズム感。いやあ子供は天才ですね。 かなわないな。
他の子たちの「大人のような」作品は全然おもしろくないんですがね。
この作品の率直さ、しなやかな言葉の使い方、京都言葉の使い方。 勉強になります。 はっとさせられました。
■裏のおうちから花の終わった蘭だけど育ててみはる、と声がかかり、一も二もなくいただきました。 蘭を株分けしていっぱいになってしまったとのこと。 いただいたのはどうやらオンシジウムのようです。
蘭は薔薇以上に手がかかり、今までデンドロヴュウム、胡蝶蘭をそれぞれ咲かせましたが、長続きしませんでした。 温度と光と湿度の管理にかなりの繊細さが要求されます。
挑んでみます。
■「街函」が一度に10冊も注文が来ました。忙しくなります。
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