散歩主義

2008年03月26日(水) 平面から立体へ

■おととい京都も桜の開花宣言がだされました。
うちの近所では平野神社の早咲きの枝垂れ桜がほぼ満開。といっても一本だけ。大多数のソメイヨシノはまだこれから、山桜はまだまだ。
だけど暖かい日が続くので一気に来そうです。

■自分の脳の使い方をいろいろ検証しているうちに、障害以前にやらねば行けない習慣、あるいは潰すべき習慣のあることが見えてきました。

「脳」とは基本的に「楽しようとするもの」「ぼけていくもの」。
そういうものなんだと思えば、対処の仕方も簡単にわかります。
放っておけば何にもできなくなるということです。

仮に「障害」の可能性があるとしたら、テレビとパソコンという「壁」。
比喩ではなくて「壁」を見てるのと同じなんですよ。
情報は得られます。もうそれだけでいいんじゃないかな。
感情系を煽る仕掛けがそこら中にあるからついつい見続けてしまうけれど、それが危ない。

「平面」ばかり見続けていると眼が動かなくなる。
それはとても偏った脳の使い方に結びつき、すみやかに「ボケ」ていくんです。
ちょうど高速道路を走っていると眼が前だけに固定され、視界が狭くなり、前方以外の「情報」が全部すっ飛んでいる状態。あんな感じです。

画面の中にも立体感がある、といってもそれはヴァーチャル。
人間の脳はそんなに単純じゃないし、性能も低くありません。
すぐに「立体感のある平面」と認識するのです。

よく凶悪犯罪者がゲームにのめり込んでいたりして、ゲームの内容が云々されるけれども、問題にされるべきは内容ではなくて画面を眺め続けていることにあるんじゃないかな。
前頭葉がいかれて、感情系の奴隷になってしまうから。
誰だって何時間も「壁」の前に立たされたら、アタマがおかしくなるでしょう。
それに人間を人間たらしめている前頭葉の理性だとか判断とかはゲームをやるうえでは邪魔だし。むしろ不要。「反射」が命だもの。
でどうなるかというと「ボケ」るんです。

いろんな例があるけれどもやばいです。
これからは特に中高年だけでなく若い人にでてきそうですね。

■今までのものを整理し、組み立て直しつつ、書く作業も進めています。
そんなこんなで、あらゆることで、どうしてもパソコンの画面を見つづけないといけないので、散歩と休憩は必ず必要。
眼を動かして世界を見なければ。
すこしでも用事が済んだら間髪入れずにスイッチを消します。

本を作っていて思ったんですけど、やはり本は立体。紙の一枚一枚は平面といえるかもしれませんが、めくれるし、湾曲するし、破れるし、書き込めるし、こじつけて言えば厚さ0.1ミリの立体ともいえます。

そんな「紙」をあつめておもしろい「立体」をつくりたいです。


ばちん。


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