午前五時。いつものように朝刊をテーブルに置くと一面下の広告欄に書籍の広告がありました。 「本は10冊同時に読め!」 凄いタイトルです。惹かれました。
というのは、今、知識のインプットとしてではなく、いや結局そうなるのか、とにかく圧倒的な量を、できるだけ高速に、読む時は集中して読書をしようという試みを始めているからなのです。
しかも時間はどうしても細切れになるので、一瞬に集中するということを心がけています。つまり、(なんのことはない)、数分でも時間が空いたら中途からでもいいから読み始める(書き始める)ということなんですが。
なんだ、そんなこともできてないのか、と思われそうですが、周りを整えて、とか、綺麗にキリがつくように、とか、そういう「行為の周辺」に気を回してしまうタイプだったんですよ。 一、二分読んでも仕方ないじゃないか、みたいな。
それ、やめたんです。
やってみると瞬間に集中するというのもおもしろいですよね。 トイレに立った時とか、ほんの少し待機する時間とか、おもむろに文庫本を取り出してふむふむと読む。 長くて10分。短いと1、2分。 その間きゅーっと集中する。 今、同時並行して六冊読んでいます。 時間割の要領ですね。
そんな塩梅なので、「本は10冊同時に読め!」というのもぴんっときたんです。 書いていおられるのは成毛真氏。マイクロソフト社におられた方です。
詰まるところビジネスに役立てるための読書術でした。
小説はあまり読まない、とのこと。「言葉の力」ゆえに、村上春樹の小説を読んで後々までかなりこたえてしまったからとも書いておられました。 なので、そういうのは読まない、と。 但し、ミステリだけは別のようですが。
「志賀直哉なんて、とても文章がへたくそで、何でこれが小説の神様なんだと思った」とか「梶井基次郎なんてわけがわからない」など 立ち読みしながら、おもわず、おおおお、と声が出そうになりました。 なんと大胆なことをおっしゃる。
「ゆっくり読む、とか、あろうことか小説にアンダーラインを引くなんて考えられない。そういう人は本が嫌いなんだ」とも。
これは平野啓一郎さんの「スロー・リーディングのすすめ」を完全否定しているわけで、どうやら筆者もそれを知っているふうなんです。 なんせ驚くべき読書量ですからね。
で、自分で文章を書くことにもっと自覚的になろう、という方向性のなかではあまり参考になりませんでした。 というのも、とにかく読むのだ、という方向性だと福田和也さんの本で読んでいますから。 なので、成毛さんの本は静かに書店の本棚に戻しました。
朝刊で眼にしてから、本屋での立ち読みまでの時間、そのタイトルに惹かれていたというのは事実で、そのわくわく感は貴重でしたね。 で、最後の方の章で、本を選ぶさいに参考にする信頼する評論家をあげておられて、それは松岡正剛さんとのこと。そのことには同感しました。
さらに「福田和也がいいかもしれない」と書いてあるので、ほほお。なるほど。ああそうだろうな、とも。
結局、「志賀直哉のことをぼろくそに書いた珍しい人」ということがぼくの中に残りました。
実行中の並行読書ですがぼくの場合、最低一日に一度はその本を開かなければいけません。そうしておかないとほんとうになにがなんだかわからなくなります。
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