2007年08月14日(火) |
少し墨が流れたぐらいで |
昨晩、雨が降ったようだけれど、まったく気がつかなかった。 夏空は安定し続けているわけではなくて、何度も空を墨が流れるように低い雲が現れた。 だけど結局は熱風に吹き飛ばされて、夕立すらこない。
畸編小説を書き上げる。 今週は「五山の送り火」がある。メルマガの記事も、その画像が中心になるだろう。 お盆で、他に書くこともほとんどない。
小説が先に書けたのは久しぶりのこと。いつも最後までかかっているのが小説である。
ネットで力を込めているのはメルマガと、もう一つポッドキャスティングがある。つまりヴォイスブログも少しずつ更新を再開した。 で、すでにやっているけれども、朗読をするに当たって著作権の問題がどうなっているのかいろいろと調べてみた。
先達はたくさんおられて、弁護士の方の解釈等も参考にした。 その結果、公開に当たって、無料、無報酬で個人的なモノであれば、ほとんど問題はないないように考えられる。
しかしブログでの朗読は、もう一種の表現行為として高いレベルに到達している方が多く、今日もサン・テ・グジュペリについての素晴らしい朗読を聞いていた。もちろん無料である。 だけどそういう方たちが訴えられたという話はきかない。
ただ、こんごおそらく有料化する方向へ向かうとも思われ、(実際、お金を払うだけの価値がある素晴らしい朗読が多い) たぶん問題が顕在化するようにもおもわれる。 そういう方たちと、ただ個人的に朗読を愉しみたい、そしてそれを公開したいという人たちをどう区別するのかという(それはほとんど作品のプレゼンテーションになると思う)問題も出てくるだろう。
著作権が作者没後50年におよぶ、という著作権法の条文を尊重して、古い作家の作品のみにしている、という人も多い。 だけど椎名誠さんの作品を朗読している人もいたし、多くの「朗読者」は新しい作品の朗読をしたがっている。
個人的であれなんであれ全文朗読がまずいのであれば、(そういうふうには法律に明文化されていない)詩集ならそのうちの一編だけとか、小説なら全体の10分の1しか読まないという自己規定を作っている人もいる。
たんなるコピーは「複製」だから、著作権法に引っかかるだろうけれど、 文字から音声へ移し替えることが著作権法に引っかかることになるのかどうか、もう少し勉強してみたい。
朗読が本というメディアに対抗したり侵害を企てたりしているのではなく、むしろ朗読がきっかけで本を買う人がでるのでないかとさえ思えるのだが。
パウロ・コエーリョだとか堀江敏幸さんの本を読めたら気持ちいいだろうな、とずっと考えていた。
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