2007年07月23日(月) |
「ゴッホの靴」を是非…。 |
この本はぼくにとって、忘れがたい作品になりました。 坂本美智子さんの「ゴッホの靴」です。2007年5月に文庫化されました。 まぎれもなくぼくにとっての「名作」になりました。
実はこの感想文のメモを書いている段階で、上記の書き出しのあと、この本が「新風舎」から出されていることを詳しく書いていました。 ぼくがこの本に出会うまでを語るべきかどうか、と躊躇したのですが、やはり書いておきます。
「職業作家」としてデヴューをめざす人たちは、まず「賞」を狙う人がほとんどです。 受賞したからといって、「その後」が保証されているわけではないのですが、少なくとも「めざす人」ではなく、「小説家」ではあります。社会的にも認知されやすい。 (もちろん「私は作家です」といえば、もう「作家」ではあるのですが。)
賞をとらずとも、投稿を繰り返しながら作家になっていく人もいます。そして人々が作品に注目するもう一つの手段としては「同人誌」があります。 それでもなお単独で何としても人に読んでもらいたい、世に問いたいという場合、自費出版とインターネットがあります。
「新風舎」は自費出版の大手として有名です。そして現在、訴訟を起こされ係争中です。新風舎の売り文句は「あなたの本を出版します」。そして係争中のものは「責任を持って本を売る」「全国の書店に本を置く」という約束を反故にされた、というところから来ているようです。
本人が原稿だけ渡しているのであれば、こんな問題は起きないでしょう。共同出版という形でかなりのお金を新風舎に渡しているが故に、問題が起きているのだとおもいます。
「新風舎出版大賞」というコンペテイションが頻繁に開催され、大賞受賞作は出版を約束されるようです。その後もお金がかかるのかどうか、大賞を取ったことが無いので分かりませんが、新風舎の本の多くは「共同出版」であると理解しています。(ぼくのところにも案内がよく来ますから。)つまり著者も出版に関する費用を負担しているのです。 「巨額にはなりますが、お金を出せば本を作りますよ」というそれだけの呼びかけならば、これほどのトラブルは起きないと思うのですが。 それだけの負担をしても本を作りたい、という人たちは確実にいるのですから。
「ゴッホの靴」はある回の新風舎出版大賞の井狩春男賞を受賞しました。その時の大賞受賞者はたしか中学生だったとおもいます。編集者や審査員の誰もが落選としたこの短編集を強く推し、本にしたのは井狩春男さんでした。 「この端正な文章を落としてはいけない」と直感されたようです。 受賞されたとき、坂本さんは70歳前後だったのではないでしょうか。新風舎から送られてきたDMでそのあたりのことを知ったときから、この本はいつか読みたいと、ずっと念願してきたのです。 当時はとにかく若い人が受賞する文学賞が続発していて、そんなかで70歳を越える方の受賞はそれだけで異色であり、また素晴らしいことに思えたのです。 井狩さんを唸らせたその文章を是非読みたいと思いました。 だけれども皮肉なことにどの書店にいっても売っていませんでした。
なので今回、家の近所の、そんなに品揃えのよろしくない本屋でこの文庫を発見したときは驚きました。これはたぶん…「作品の力」なのでしょうね。
そして読みました。 とてもいい短編集でした。書かれているのは老人など社会的弱者ばかりです。 坂本さんは1932年生まれ。御高齢でありながら現在でも現役のケア・マネージャーです。介護の仕事を通じての経験が、すべての題材になっているのでしょう。 滋味溢れる、手で彫り込んだような作品ばかりです。 老いを考え、死を考えました。生きることを考えました。 大袈裟なところも、大仰なところも、激越な叫びも主張もありません。しかし、じいっと心にしみいってくる作品たちでした。
井狩さんが絶賛した文章も素晴らしかった。うまいです。余分なデコレーションがありません。とにかく感じたのは 『文章に齟齬(そご)がないこと』です。 素っ頓狂なこと、ぶっ飛んでいること、それがない、というのではありません。 『齟齬がない』のです。 この感覚は本を読んでいる方や、自らも何かを書いておられる方なら分かると思いますが。『正確に書かれている』という言い方が近いかもしれません。
個別の作品は 1 「ゴッホの靴」 自分のミスで登山仲間を死なせてしまった(実際はそうではない)と思い悩み、ホームレスになった男の末期を描く。
2 「隧道」 人生の最後を生きていく老婦人たちの様々な姿。その人たちの最後の光がみえました。 3 「桜 蘂降る」 熟年離婚を決意し、故郷へ戻った私。死んだ母を想い、狂い自殺した幼なじみの父を想い、その幼なじみに出会い。そして老桜を見ながら離婚していくふたり。 さまざまな人生が淡々と語られます。
4 「ナビケーター」 脊椎損傷で下半身不随になった人の、むずしいサポートを通じて人生を考える。考えながら多摩川の源流へ行こうとする。無謀な行動の果てに結局帰るのだけれど、 重要な台詞があります。 『私はまだ生きている途上で、何もやっていない、何も終わらせていない。でも一所懸命、ここまできた。 ほとんどの人にとって、そうやって終わりを迎えることが生きるということなのだ』 5 「エゴの花」 脳梗塞で倒れた飼い主に寄り添う犬。やがて飼い主は亡くなり、残された奥さんが「得手勝亭」というご飯やさんをする。 犬のところへ遊びに来るダウン症の友人の孫、自分の娘、そして優しい犬。そして犬が亡くなっていく。 それでなくても「犬もの」に弱いぼくは、わあわあと泣きました。
6 「馬革の鞄」 鞄一つで押しかけてきた、俳句教室の70歳を越えた仲間。数日だけれども彼女は家に居着いてしまう。図々しいとおもいながらも、逆に彼女によって生活が、交流が、彼女自身が活性化し開かれていきます。 そして彼女の死。まるで「死にじまい」のように、単独者としてバトンを渡したような形になる。バトンは「鞄」です。
下手をすると真っ暗な、救いようのないテーマであるけれど、むしろ感じるのは光であり、清々しさでした。そして顔を上げて生きていくということでした。 自らを、とにかく自らをきちんと生きる。 それが人生。それで十分なのだとおもえたのです。
また、ぼくにとっては考えているテーマがとてもよく似ていたので驚きました。準備している長い小説へのヒントもずいぶんありました。 そしてなにより書くことへの励ましにもなりました。 どこかで躓いても、いろんなところから切り離されても、誰からも見えなくなっても、書くことは続けられるのだし、それでいいのだ、とおもいます。
人に読んでほしくなったらネットがあるし、そもそも坂本さんは「この出版社」を選んだのですから。 「作品の力」がすべてなのだとおもいます。
●「ゴッホの靴」坂本美智子(新風舎文庫)657円+税 手にとってみてください。
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