青木玉さんの「底のない袋」(講談社文庫)を読み始めた。 青木さんのお母さんである幸田文さんの、「書き仕事」の流れは、内容、文体ともに引き継がれていた。
ごく身近な生活に題材を求め、そこに注がれる視線の丁寧なこと。また、それが「美しい」としか形容のしようがない文章で綴られる。
このようなエッセイを読むことは、たいそう幸せなことだ。 心の中で無駄にくすぶっていた何かがあっさりと消えて、涼やかな心持ちで暮らしていけそうに思えるからである。
読んでいてふと、だれかに似ていると思った。 それを心の隅に留めたまま読んでいき、川上弘美さんであると思いいたった。
「〜だのに」という語法も含め、言葉遣いや言い回し、文のリズムに共通したものを感じたのである。
はて、これはひょっとして、とおもい、川上さんのエッセイ集を引っ張り出し、幸田文さんのエッセイ集も取り出して確かめてみた。
川上さんの独特の言い回しには、ちゃきちゃきの江戸っ子であるお母さんの影響があるかもしれない、とご本人が書かれていた。 一方、青木さんのお母さん幸田文さんは、東京・向島の生まれである。
川上弘美、青木玉という歳はかなり違うけれども、現代の名文家と私が感じている二人の背後には、江戸っ子のしゃべるリズムがあるのではないか。 そんなことを考えたのだった。
さて、 再び本にもどったものの、疲れが出たのか風邪に臥せっています。 湿気と気温差にもやられたようです。
早く休もうと思います。 では、おやすみなさい。
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