今日は夏日になった。お昼前ぐらいからTシャツで過ごした。 今年になって初めて。 ハナの散歩も素足にサンダル。おとといなら考えられないことだ。
当然のことだけれど、ずいぶん軽い。気楽。 ふんふんふーん、てな感じ。
朝のうちは爽やかだったので、長袖のTシャツでコルナゴに乗り、西本願寺と蹴上に行った。 帰ってきたときは、すでに暑くなっていて、そこで半袖に切り替えたというわけである。
街をゆく人も観光客も半袖の人が多かった。
「下流志向」内田樹、「壊れる日本人」柳田邦男を読む。 「壊れる日本人」で紹介されている「ケセン語訳新約聖書」というのがとてもおもしろい。
「ケセン語」というのは、岩手県の三陸海岸最南部、気仙地方(宮城県気仙沼付近と隣接した地域)の方言である。 日本語訳を方言に直したものではない。ギリシャ語に直接あたり、それに即した意味の「ケセン語」を採用するという方法をとっている。 その言葉が硬い文体の聖書よりもはるかに「ぐっ」ときた。
「ぐっ」とくる、というのは言葉が(たぶんその「意味」が)からだに飛び込んでくる。と、いうか皮膚感覚に近いような理解が得られる感覚があるのだった。
例えば普通の新約聖書のなかの「マタイによる福音書」にある <心貧しき人は幸いである。天の国はその人たちのものである> が <頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ 幸(すあわ)せだ。神様の懐に抱かさんのァその人達(ひとたづ)だァ> となる。
ぼくは東北人ではないけれど、後者の方が「ぐっ」とくるのだった。
もう一つ考えたこと。 ネットもテレビもラジオも何もない日を一日つくること。 たぶんたいそう退屈するだろう。 植物の手入れをするか、ひたすら本を読むか、ロードレーサーに乗るかすれば時間はあっという間に過ぎるだろうけれど、 水撒きを終えても、本を閉じてからも、レーサーを降りてからもそれを続けること。 週に一回でいいからやってみる。 考えることと生活の細部を見つめること。それが大きな理由。 一人の部屋にひきこもっているわけではないし、他者との関わりもあるし、難しいとおもうけれど、方針として。
そうそう、ノイバラが満開になりました。 五月は薔薇の季節です。
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