昨日、彼は友人の誕生日プレゼントに藤原伊織「ダナエ」を選んだ。 文庫本しか読まない、といつも言っている友人だが、藤原伊織と高村薫だけはハードカヴァーで持っている。 新刊ハードカヴァーを手渡しても怒られることはないだろうと彼は考えたのだ。
今日、彼はノートに毎週金曜日に配信するメルマガの小説部分を書き込んでいた。 それを知っている友人は会うなり、まさか小説に「あるがまま」を書いていないだろうな、と言う。
問われた彼には、実際に起きたことしか書かないでいようか、という迷いがあった。 そういう方向で書きたいという欲求が、正直、あるのだ。 そこを友人につかれたので彼は考え込んでしまった。
作文と小説の違いは「文学」の「場」にあるかどうかであって、「あるがまま」だろうが「つくりもの」だろうが関係ない、と彼は思い直す。
ただし「本当のあるがまま」と「あるがままのような魅力」とはまったく違う。人々が読みたいのは後者だ。 それも彼の正直な気持ちだった。彼が読んでくれる誰かに向けて書くというのなら、このことは無視できまい。
午後からゆっくりと雲がひろがった。
東京から「音楽の手紙」が届いた。 「にゅわん」さんのhohoemi tegamiというCDだ。 昨年、彼がライヴで聴いた唯一のミュージシャンである。 彼は彼女の声が好きだった。 彼は耳をすまして聴き入っていた。
メルマガの準備は整ったようだ。 配信予約が済んでいる。 「あるがまま」は記事に、「構築した話」は小説に。 ほんとうだろうか。 記事だって「かたち」を整えている。構築した話は「事実」が散りばめてある。
どこが違うのか、読んでみる。 やはり違う。小説は小説だ。
このどちらでもないのが詩である。彼は詩を書いたのだろうか。
夜、雨が降っている。
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