散歩主義

2007年02月08日(木) ゆっくりと雲が

昨日、彼は友人の誕生日プレゼントに藤原伊織「ダナエ」を選んだ。
文庫本しか読まない、といつも言っている友人だが、藤原伊織と高村薫だけはハードカヴァーで持っている。
新刊ハードカヴァーを手渡しても怒られることはないだろうと彼は考えたのだ。

今日、彼はノートに毎週金曜日に配信するメルマガの小説部分を書き込んでいた。
それを知っている友人は会うなり、まさか小説に「あるがまま」を書いていないだろうな、と言う。

問われた彼には、実際に起きたことしか書かないでいようか、という迷いがあった。
そういう方向で書きたいという欲求が、正直、あるのだ。
そこを友人につかれたので彼は考え込んでしまった。

作文と小説の違いは「文学」の「場」にあるかどうかであって、「あるがまま」だろうが「つくりもの」だろうが関係ない、と彼は思い直す。

ただし「本当のあるがまま」と「あるがままのような魅力」とはまったく違う。人々が読みたいのは後者だ。
それも彼の正直な気持ちだった。彼が読んでくれる誰かに向けて書くというのなら、このことは無視できまい。

午後からゆっくりと雲がひろがった。

東京から「音楽の手紙」が届いた。
「にゅわん」さんのhohoemi tegamiというCDだ。
昨年、彼がライヴで聴いた唯一のミュージシャンである。
彼は彼女の声が好きだった。
彼は耳をすまして聴き入っていた。

メルマガの準備は整ったようだ。
配信予約が済んでいる。
「あるがまま」は記事に、「構築した話」は小説に。
ほんとうだろうか。
記事だって「かたち」を整えている。構築した話は「事実」が散りばめてある。

どこが違うのか、読んでみる。
やはり違う。小説は小説だ。

このどちらでもないのが詩である。彼は詩を書いたのだろうか。

夜、雨が降っている。


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