2006年12月25日(月) |
「誰かが書かねばならない小説」とは |
私が詩を投稿している婦人公論の、選者は詩人の井坂洋子さんなのですが、 詩以外で井坂さんが小説の解説をされている文章を時々読みます。 たいてい文庫本の解説か新聞の書評です。
日曜日の京都新聞「読書欄」、新刊紹介のところで久しぶりに読むことができました。 取り上げられていたのは村田喜代子「鯉浄土」で、私は未読です。
井坂さんの紹介を読んでいるうちに、これは読まねばと決めたのですが、気になった言葉がありました。 それは 『これは誰かが書かなければならなかった小説だと感じた』。
「誰かが望んでいるであろうものを書く」あるいは「自分が書きたいように書く」のどちらとも違うニュアンスに立ち止まってしまいました。
「鯉浄土」は9遍からなる短編小説集で、そのなかの「科学の犬」という短編をことさら取り上げての言葉でした。 もちろん読まなければ何も言えませんが、 「誰かが書かなければならなかった小説」とはどういうものなのでしょう。
作者がそのような構想の下に書いているのでしょうか。 そけとも書きたいように書いたものがたまたま井坂さんにそう感じさせたのか。 いずれにせよ、ずっと詩の選評を読み続けている井坂さんの言葉だけに気になって仕方ありません。
年末に、どうしましょう。
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