散歩主義

2006年12月02日(土) 冬が来たので本をゆっくり読もう

昨日まで、なんだか妙に暖かだったのだけれど。
今朝、散歩していて冬の寒さを自覚した。そんな気温になった。

北西の風がとても強くて
紅葉が次々と散って、冬の木の姿が街に現れ始めた。

猫は布団の中から出てこないし、ハナもそんなに散歩をせがまない。
明日はもっと寒いらしい。
雪が降るかな。

ここのところ、ともすれば積ん読になりがち。
だんだん手当たり次第に本を読んでいる状態になってきていた。
と、ここでストップ。

「量の読書はこれで終わりにしたい。これからは、自分にとって大切な本を大切に読もう」
という原則に戻る。
これは平野啓一郎さんの「本の読み方」に我が意を得たり、とおもい、メモしておいた言葉である。
これとは別に評論家の福田和也さんの「文章教室」も読んだ。
実はこの二冊はまったく主張が逆なのだ。
もちろん、福田さんは「速読派」。平野さんは「スローリーディング派」である。


例えば「良いといわれることは何でもやってみる」という平野さんが、「あれはだめだ」という「書き写し」のことを、福田さんは誰もやりたがらないけれど、是非やるべきだと書いていた。

やってみなければ分かるまい、とぼくは吉行淳之介さんの短編から長編、片っ端から原稿用紙に書いた。きっちり句読点も旧い漢字も押さえて。延々と書き続けた。何作も何作も…。

結果。
平野さんの主張がぼくにはあっていた。書いてあるとおりだった。
やってみなけりゃわかんない、ということ。
そのかわり、本をぼろぼろにするスロー・リーディングを実践している。
ノートをとったり、アンダーラインに書き込み。
だから遅い。
何度も読み返す。

さて、その前提として自分にとって大切にしたい本とはなにか。
読書の先輩「文庫本主義者」は「だめだとおもったらすぐに読むのを止めなさい」という。「時間の無駄」だと。
大江健三郎さんが「三振やファウルを打つような読み方にも無駄はない」と書いておられたのが励みである。好きな作家、その作家の好きな作家、と辿っていくような読み方になるだろう。
大江さんも速読はすすめない。
「リリーディング」をすすめる。「読みなおすこと」を。

今日、もう一度、平野啓一郎「本の読み方」を再々読して、方向を決めた。
ぼくはなかなか信じないほうなんだけど、納得した。

毎日少しずつでもいいからじっくりと読んでいく。
とばさない。
これって書くことにも通じているんじゃないかな。

今読んでいる本
「ティンブクトゥ」ポール・オースター
「グレート・ギャツビー」フィッツジェラルド・村上春樹訳
「河岸忘日抄」堀江敏幸
「光ってみえるもの、あれは」川上弘美

どれも感想文をアップする予定で読んでいる。
感想文というより最近は「ノート」といっているけれど、これをブログにアップしようとおもうと、ぼくはゆっくりじっくり読まざるをえなくなるからだ。
自分に仕掛けているのです。

福田流がよい人もいるとおもいます。
ぼくはたまたま平野流、ということです。
ほんとに、たまたま。


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