とても暖かな日よりのなか、日本画のグループ「尖」の小品展をみにいった。 河原町御池を下がった東側、京都ロイヤルホテル手前の筋を東へほんの少し入ったところにある小さなビルの4階。 「ギャラリー賛」である。
こぢんまりとしたギャラリーなのだけれど、エレベーターの中には様々な美術展のポスターで埋めつくされていた。
岡崎周辺の小さな画廊を回っていてもおもうことなのだけれど、こういう場所が画を描く人たちを支えているのだ。 小さなスペースに所狭しと置かれた案内葉書の数々を手にとりながら、そんなことを考えていた。
ギャラリーのオーナーさんか関係者の方だろうか、おもしろそうな鉛筆画の案内を見入っていたら声をかけてくださった。 こういうかたたちの「いいですよ」とか「おもしろいですよ」という一言がどれだけ大切か…得難いものか…。
さて、その狭いスペースにあわせたかのように、同じサイズの小品がずらりと並んでいた。 作品たちはそれぞれのこれまで発表された作品のミニマム版とおもえるものが多かった。 そこで、この枠の中に完結した世界をみせるのか、流れや動きの中の一部を切り取ってみせるのかという視点で見てみた。
動きを一番感じたのは山本俊夫さんの作品。竹林柚宇子さんや天宮志麻さんもこちらだろう。 枠内に完結した世界では横田和枝さんの作品。藤岡雅人さんもこちらだ。 どちらがどう、といわけではない。 どちらともいえる作品もある。 寺村里香さん、 林 孝二さん、比佐水音さん、 マツダジュンイチさん…。
切り取られた動きが、閉じられてしまうこともあるし、枠内に描ききった世界から、「その外へ」と流れていく想像が起ち上がることもある。 観る側の視点にもよる。精神状態にも。
だから上に書いた分け方でも、瞬間の感覚でしかない。
竹林さんの「ヒバリおとめ」とぼくが勝手に名付けている人物像はいつもながらコケティッシュでよかった。
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