吉行さんの勉強をしていて、ずっと気になっているのが「ゆく」という表記だ。 漢字で書くと「行く」。
吉行淳之介という作家は(も)、字の使い方に独特のこだわりを持っていたことで有名だ。 もっとも知られているところでは「軀」。読みは「からだ」。「体」でも「身体」でも「躰」でもない。一貫して「軀」を使う。 もう一つは「翳」。読みは「かげ」。「陰」や「影」と併用しているけれど、「翳」が一番多い。
だから現在の作家で、わざわざ「からだ」にだけ旧仮名遣いの「軀」を使っている方がいると、「私は吉行フォロワーですよ」と宣言しているようにみえる。
他にぼくが気になったのは、「思う」と「おもう」の使い分け。「思い出す」というニュアンス以外はぜんぶ「おもう」と書く。 それと「ゆく」。
ぼくが思い出すのは、中学校二年の国語の授業でのことだ。 課題の作文で、自分の作品がずいぶん褒められ、教師が全員に朗読して聞かせたのだった。そこまではよかった。
読み終えた国語の教師が、「しかしね」とにこにこしながら指摘した。「今読んだ作文に出てくる『ゆく』は全部ペケです」 教室の全員、なごやかに大笑い。
ぼくは小さい頃から「行く」を「ゆく」と発音し、ひらがなで書くときは「ゆく」と書いてきた。「いく」とは書かなかった。 「気をつけてね。入試でこれやったら減点されるから」と教師から念を押された。
そんなことがあっからよけいに気になったのかもしれない。 吉行さんは、ことごとく「ゆく」と書いている。 小説には○も×もないんだし、読めないような当て字を作る人だっている。
あまり考えないようにしようとおもうのだけれど、どうしても引っかかる。 うーむ、一種の軽い呪縛なのかな。
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