散歩主義

2006年10月24日(火) 「ゆく」と「いく」

吉行さんの勉強をしていて、ずっと気になっているのが「ゆく」という表記だ。
漢字で書くと「行く」。

吉行淳之介という作家は(も)、字の使い方に独特のこだわりを持っていたことで有名だ。
もっとも知られているところでは「軀」。読みは「からだ」。「体」でも「身体」でも「躰」でもない。一貫して「軀」を使う。
もう一つは「翳」。読みは「かげ」。「陰」や「影」と併用しているけれど、「翳」が一番多い。

だから現在の作家で、わざわざ「からだ」にだけ旧仮名遣いの「軀」を使っている方がいると、「私は吉行フォロワーですよ」と宣言しているようにみえる。

他にぼくが気になったのは、「思う」と「おもう」の使い分け。「思い出す」というニュアンス以外はぜんぶ「おもう」と書く。
それと「ゆく」。

ぼくが思い出すのは、中学校二年の国語の授業でのことだ。
課題の作文で、自分の作品がずいぶん褒められ、教師が全員に朗読して聞かせたのだった。そこまではよかった。

読み終えた国語の教師が、「しかしね」とにこにこしながら指摘した。「今読んだ作文に出てくる『ゆく』は全部ペケです」
教室の全員、なごやかに大笑い。

ぼくは小さい頃から「行く」を「ゆく」と発音し、ひらがなで書くときは「ゆく」と書いてきた。「いく」とは書かなかった。
「気をつけてね。入試でこれやったら減点されるから」と教師から念を押された。

そんなことがあっからよけいに気になったのかもしれない。
吉行さんは、ことごとく「ゆく」と書いている。
小説には○も×もないんだし、読めないような当て字を作る人だっている。

あまり考えないようにしようとおもうのだけれど、どうしても引っかかる。
うーむ、一種の軽い呪縛なのかな。


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