散歩主義

2006年09月30日(土) 静脈

家族が倒れたり、あるいは自分が病気や怪我に苦しんだりすると、生活は「静脈的」になる。

あくまでイメージなのだけれど、開拓、運動、活発、新鮮といった動脈的なイメージよりも、回復、平穏、静止、といったことが生活上で必要とされる感覚になる。

つまりは「動けない」或いは「動かない」ということである。

しかしながら生活は「静脈」だけで成り立つはずもなく、時間もお金も体力も「動脈」と循環しなければならない。ただ静脈が動脈を規定する、というイメージで生活がなされていくのだと考えてみた。

いまのぼくは、というよりこれからのぼくは、そういう「静脈優位」の生活にならざるを得ないとおもう。

「動けない生活」をおもうとき、いちばんにでてくるのは正岡子規の著作だ。
一歩も動けない病を得てから亡くなるまで、その極限の生活から紡ぎ出された言葉は、時として鋭く人の浮ついた心を衝いてくる。

動けない、動かないといったって、この人ほどにはなるまい。
できることだけに意識を集中する。
その意識をもっただけで生活はみるまに脈動を始める。

ただし、ぼくが主におもうのは、彼の看病をした人たちのことである。
その人たちにこそ学べることがあるのではないかとおもう。


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