散歩主義

2006年06月26日(月) 深夜の逆上がり

朝の散歩途中、いつもの児童公園でダバティ神父と出会う。
神父が連れている柴犬のキキはとても元気だった。

公園の入り口と通りを挟んだ向かい側にはコンビニがあって、夜、そこで買った食べ物を公園で食べ、散らかして帰るものが多く、毎朝、ゴミが散らばっている。

今朝も例外ではなく、ふたりでそのことに憤慨していたのだけれど、ゴミを散らかす人間を非難するぼくに対して神父はゴミ箱を設置しないことを非難するのだった。

「あほですね。なぜしないか。あれはあほですね」と言う。(彼はフランス人である)

公園は市の公園管理課が管理しているのだけれど、ゴミ箱を設置するとゴミを処理する人の人件費がかかるから、置かないのかな、と説明すると

「あほですね。とてもあっほですね」

公園は、だから週に二、三度老人のボランティアの人が掃除したり、子供を連れて遊びに来たお母さんたちが片づけているようですよ、と説明すると

「週に一度ボランティアがゴミ箱のゴミを片づければいい。なぜそうしないか!
あっほですね!」

ぷりぷり怒る神父とキキ、まあまあというぼくとハナは出口の方へ歩いていった。
すると鉄棒の柱の上に何とも器用にあるブツが置いてある。
間違いなく財布だ。

「おおあなたみつけたねえ、あなたけいさついくねえ、ひゃっほお」
神父はずいぶん嬉しそうだ。
実は早朝、犬の散歩をしているといろんなものが落ちているのだ。イヤリングやたまごっちなんかはざらで、時計や財布もよく落ちている。

ぼくも神父も何度か拾い、警察に届けたことがある。
そのことでも二人で一回、怒りと不満を語りあったことがあった。

それは派出所が無人だということ。
大抵、本署へ連絡を、と書かれて電話が置いてあるだけで、夜と早朝はほとんど警官はいない。(「あっほですね」)
だからぼくらは拾得物を手に持ったまま呆然としてしまうのだ。一度家に帰って本署に出向くのだって時間をつくらないといけないし、だいたい人のものを持っているというのは気持ちが悪い。

ある朝であった神父はまるでカードの束のようになった財布を手に泣きそうになっていた。
「ああけいさついくねえ、めんどくさいね、それにいないね」
その時、さっさと帰ったぼくの後ろ姿がよほど憎たらしかったのか、今日はとても嬉しそうだ。

「けいさつよっろしくね」といって帰っていく神父。
柴犬のキキと神父のお尻は最近よく似てきていて、いっしょにぷりぷり振りながら帰っていく。これから朝のミサなのだ。はんっ。

おはようございます、といっておそるおそる派出所を覗くと、奥から返事があった。若い警察官が出てくる。おおラッキーじゃん。
いろいろと説明し、書類に記入し、権利を放棄するところにサインし、中味を二人で確かめていく。

うーん、カードの嵐だ。ぼくと同じTSUTAYAのもある。
定期券が出てきた。警察官と一緒に読む。
XX公園???小田急相模原??????

関東の某大学生と判明。京都に遊びに来てたんだね。
じゃ、あとはよろしくといって派出所をあとにする。
久しぶりに「ひとんち」に行った気分のハナはご機嫌だ。

やっぱり、深夜の逆上がりは注意しましょうね。
それよりゴミ箱をどうするか、だな。
また神父と語らねば。




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