■京都新聞日曜版の読書欄に「漱石という生き方」という本が紹介されていた。面白そうだ。 書かれた人は秋山豊さんといって漱石の自筆原稿に直接あたって新版漱石全集を編纂された方だという。 原稿を読んでいく作業だから、ずいぶん活字とは違う感覚で読めたのだろうなあ。
■自分の「立ち位置」について考える。いろんな意味で。 ■森鷗外「百物語」を読む。だから、というわけではない。
■珍しくハナが夜の散歩をせがんだ。いつもなら夕方の散歩以降はごはんを食べおとなしくくつろいでいるのだが、身体の具合でも悪いのかと思い、外に連れて出た。 ハナは大喜びで歩いていく。別に下痢などしているわけでもなく、ふっと歩きたくなったようだ。 ひんやりとした夜風が吹いていた。新緑の匂いがたちこめていた。 散歩をしている一家と出会う。子供たちが懐中電灯を手におおはしゃぎだ。 ふと顔を上げると、満月。
■学生の頃、同じ下宿に滋賀大の学生がいた。彼は毎日、京都・左京区から中古のスズキフロンテで途中峠から比良・比叡山麓を抜け、琵琶湖大橋を渡り通学していた。 今日、森鷗外を読んでいて、句読点のリズムが彼のしゃべり方の呼吸にそっくりなのに気かついた。 おまけに彼は大阪南部の出身なのだが、言葉がまるで漱石の「小説言葉」のようだった。 ふうむ。彼は漱石と鷗外を読み込んでいたに違いない。確か昔もそんなことを感じたんだった。
記憶では彼の部屋にはバイトで貯めたお金で買ったという、とても作りのいい、黒い、木目の綺麗な文机と同じ木で出来た背の低い本棚だけがあった。 文机の上にはペリカンのインク壺とノート。本棚には小川未明全集が全巻ぴしっと入っているきりだった。 その部屋がシンプルで恰好よかった。
開けたことはなかったけれど京間六畳の部屋にしつらえてある押し入れにはたぶん漱石や鷗外の本がびっしり詰まっていたに違いない。
などと、久しぶりに鷗外を読んでかつての隣人を思い出していた。 そういえば文机の上には手碾きのコーヒーミルもあったな。 それも黒い木で出来ていた。
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