散歩主義

2006年06月10日(土) 「ウェブ進化論」、再び

以前ここに書いたことのある梅田望男さんの「ウェブ進化論」をなんども読み返している。最近、文芸書以外でこれほど読んだ本は久しぶりだ。

「新潮」6月号、7月号と続いた平野啓一郎さんと梅田さんとの対談がかなり刺激的だったからだ。
対談はさらによく読む必要があるけれど、時代は少しずつに緩慢ではあるけれど確実に、本質的に変わっていっていることを実感する。
たぶん後戻りはないだろう。

平野さんはネットに対してかなりネガティヴな考えの持ち主だと思っていた。ネットに依存した二重生活を鋭く指摘していたし、日本のネットにおける匿名性の問題も指摘していた。だけどだから単純に否定的だと割り切れるはずもなく、ネットをめぐる彼一流の問題提起であったように思える。というか意識を前進させるための仕掛けだと。

この対談を巡り、何故平野さんはブログをやらないのか、といった疑問に対するご自身からの返信も別のブログ上であったりする。
(このやりとりこそブログじゃないか!!と思わず膝を叩いた。この江島さんのブログの他の記事も刺激的です)

そこで語られる小説家としての書く内容の濃度なり集中を担保するために「あえて」ブログを書かない、という姿勢が、すっきりしていて気持ちがよかった。

ぼくが平野さんの今年の作品群で感じた「二重性の問題」(平野さんは「複数性」という言葉を使われていた)については解決云々ではなく、少なくとも「そう生きてしまっている今」を意識し続けよ、というメッセージを受け取ったように感じている。
自分でも作品を書いていく上で、伏流水のように意識を刺激し続ける問題でもあると思う。

さて「ウェブ進化論」である。
この本が出てからネットに対するネガティヴな意見を持った本が相次いで登場したり、グーグルに対する露骨な警戒論まで飛び出し始めた。
(例のネットから離れる若者が増えている、という論もそう)

「ウェブ進化論」のようなポジティヴな本はなかった。おまけに、だからこそ出てくるであろう上記のような反応さえ予見しているかのような内容でもある。
そもそもネットについてこういう見通しを持っている本は書かれたことはなかったんじゃないだろうか。
ネットが本質的に、決定的に、徹底的に「新しい」ということをここまで書かれると、昂揚もするし、隅から隅まで読みたくなる。何度も。

ぼく自身の問題でいえば、最近、サイトは「孤島」と書いた。今もそうだ、と。
じゃあそれでいいのか、ということだろう。
それでも誰かに届くと信じて書き続けているのだから、個人としても「脱孤島」をはかるべきかもしれない。
それともあえて旧来のスタイルに固執するというのならばブログなんて止めるべきだろう。
同書に出てくるロングテールの一翼にいるという自覚を持つなら、ネットでもっと書きまくるべきだろう。
ネットにおける文芸の見せ方の限界は梅田さんも指摘しているとおり悲観的なものだが…。
最近、少し揺れていた。

同書の特に第四章は何度も読み返している。
平野さんの本は「滴り落ちる…」から読み返している。

「持たざるもの」が何に依拠するか。答えは明瞭だ。


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