散歩主義

2006年05月17日(水) これから


朝の散歩で町内の植栽が眼にはいるのだけれど、街の中は薔薇が溢れていた。それだけで雰囲気がずいぶん変わったことを感じる。
無論、薔薇だけではない。他の花たちによっても変わっている。色が溢れ、微かに香も漂ってくる。
我が家の前も、裏口の小屋根の上も薔薇が咲いている。裏口ではラベンダーも満開で株を揺すると香がふわりと浮いてくる。
野菜も順調。枇杷と梅の実も大きくなり始めた。
ただ気温が低い。それが気がかり。

ところで、
最近読んだ吉岡実、庄野潤三をはじめ、今まで様々な人の詩や小説の「作法」を読んだ。ずいぶん参考になったけれど、これからしばらくは創作に集中していくことにした。
少しずつだけれど創作の前進が続いていて、
時間をそちらにより多く回すことにしようと思うのだ。

「作法」ではないけれど、「小説論」として柴田元幸さんの「アメリカン・ナルシス」が最新の「意見」だろうと思う。

柴田さんの次の指摘は興味深い。

『現実を誠実に写し取るとか、子供の頃の出来事を誠実に書くことが正しい小説の書き方だという通念が、2000年ごろまではありました。しかし、ほとんどの人にとって生き生きとしているのは、妄想の中だと言うことが見えてきた』

柴田さんは多くのアメリカ文学を翻訳してきた。
それを踏まえてアメリカの新しい作家が「幻想の効用」に目を向けているという。意識の深層に降りていくような作品、という意味である。
それは日本でいえば川上弘美、小川洋子といった作家と共通するという。現実と異世界が境なく描かれるのだ。

新しい作家たちは特定の地域性から逸脱しつつある。
村上春樹が世界で読まれる理由もそこにあるという。

このことと保坂和志さんの「小説は視覚の運動、感覚の運動を文字によって作り出すこと」という意見。そして最近、集中して読んだ多和田葉子さんの作品。
それらがアタマの中で渦を巻いている。

書くことに時間を割きたい。


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