友人のお母さんが亡くなった。生前、私もいろいろとお世話になった。 和服の似合う美しい方だった。骨髄性白血病を患い、闘病されること六年、安らかに逝かれたという。享年八十三歳。
葬儀も終了し、一段落ついた友人が訪ねてきた。 親族だけの密葬だったので近親者や友人、町内の方たちに亡くなったことを手紙でお伝えしたい、ついてはその手紙を書いてくれまいかという。
数行の文章である。友人を横に座らせて早速パソコンに打ち込んでいった。 …風薫る五月、皆様方には……と。
あなたの文章は全部「〜た。」「〜た。」の繰り返しなのね、といわれる。そういわれてみれば私は短いピッチで文章を打ち込んでいた。 読書家である友人は、そんなのはいやだという。横から声による添削が始まった。
なるべく短い文章にしたいという意識が常にぼくの頭の中にある。これは「癖」なのかもしれないけれど、文章を書く仕事の最初に、徹底的にたたき込まれたことなのでなかなか直らない。 一文は30字までという「掟」があった。たぶん今でも広告や新聞ではそんな原則があるのではないだろうか。もうそういう縛りから自由になってもいいのだけれど、まだまだそうはいかない。 (今書いているこの日記を最初から読んでみてほしい。)
友人の要求は辛辣になり、ぼくを責め立て罵った。 こんな文章書いたことないんでしょ、小説や散文でもうねりのある文体が私は好きなの、えっ?何いってんの私が書けないからあなたに頼んでいるんでしょ、書いてよ。
やがて「お知らせ文」が完成した。 うねる文章か、と思って文面を眺める。わずか30字六行。ずいぶんすっきりしている。おなじことを私が書けば九行ぐらいになり、まだ推敲していただろう。
いい勉強になった。
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