昼過ぎ、堰を切ったように雪が降り出した。舞っていた。 晴か雪の天気。
お茶の時間に食べた阿闍利餅の、包み紙に印刷された製造元の住所が「京都市左京区今出川通り鞠小路上ル」となっていた。
道路標識も地図上も「鞠小路」となっているのだろう。だが、少なくとも昭和50年代までは「鞠小路」ではなく「万里小路」となっていたはずである。
つまり平安京成立以後、いつの時代からは不明だがこの南北の通りは「万里小路」と呼ばれ続けてきたはずなのだ。 ちなみに、今これを打ち込んでいる一太郎ATOKでも「まりこうじ」と打つと「万里小路」とでてくる。
ついでに書いておくと「万里小路」は「まりこうじ」とは呼ばず「までのこうじ」と呼ばれていた。 「万里小路家(までのこうじけ)」があったからだ。
読みやすさ、親しみやすさから改変されたのだろうか。 同じような理由で「東大路通り」が「東山通り」と呼ばれ、表記もされている。しかし多くの京都市民は今でも「東大路」を使っている。 一度、呼び名を統一しなければ観光客が迷うのではないかという市民からの疑義が申し立てられ、新聞紙上を賑わせた事がある。 市役所の返答は「どちらでいいです」ということだった。ただし京都市交通局は「東山通り」を採用している。 どちらにしても「通称」の話なのだろうか。
たぶん名前はこういうふうに変わっていくのだろう。 1200年以上昔、平安京の中心だった朱雀大路は今はもうなく、街自体の枠が東へ移動し、かつての朱雀大路のあたりは千本通りになっている。
庶民が勝手に名付けた辻子はいまでも現存している。 名前が残っていても地図には載らないし、標識も立たない。 だからこそ残り続けるのだろうと思う。
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