| 2006年03月02日(木) |
人が亡くなるということ |
京都のジャズピアニスト市川修さんがさる1月31日に亡くなったことを知りました。 ジャズスポット「ブルーノート」で昔、よく聴いていました。豪快な人柄で、パッションそのものといった演奏でした。
自らのコンボを率いて京都でごりごりと活動を続けておられると思っていたのですが…。「ブルーノート」にはもう10年以上いっていませんでしたから、この間の事情はまったく知りませんでした。
彼の訃報を死からひと月遅れで知り、人生の一時期、完全にジャズに耽溺していたころの苦く、哀しく、狂おしい時間を思い出しました。 瞬間に燃焼しつくすようなライヴステージの輝きに満たされもし…。
BAL東入ルの「ブルーノート」。かつてここで出会った人たちも亡くなっていきます。ほんのすこしだけ会うことのできたチャーボー、ママのオシシ、そして市川さん…。
よく考えてみれば京都にこだわった人ばかり。京都から世界に繋がろうとした人たち。
名誉やメジャーとは無縁の、自分の信じることを一直線に突き進んだ人たち。
かつて語りあった人たちが亡くなったと聞くとぼくもずいぶん歳をとった気がします。今でも詩を書いていることを知ったらオシシはなんて言うかな、とふと想像してみました。 「止めたらあかんよ。あんたは書く人なんやから」 今、彼女が生きていたとしても、きっと昔と同じことを言うだろうな、と思います。 そうやって励ましてくれる人でしたから。
人が亡くなるということは自分を見つめ直すことでもありますね。
そういうことを書いていたら、ラジオから作家の久世光彦さんが亡くなった、と。 うーん。 突然のことで言葉がでてきません。 愛読していました。
今はただご冥福をお祈りするばかりです。 合掌。
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