散歩主義

2006年01月13日(金) 耳と鼻

この日記を読んでくれている方の地方でどうかわからないけれども、この冬、京阪神では火事がとても多い。
例年になく寒さが厳しいために暖房器具をフルに使っていて、間接的にはそれが原因になっているようにも思う。

ぼくがとても気になるのは火事の時に必ずと言っていいほど死者がでることだ。昔の個人宅の火事でこれほど死者が出ただろうか、と思う。

ある方から最近の火事で亡くなる方は焼死ではなく、新建材が燃える際に発生する「毒ガス」で亡くなるんだと言われたことがある。
例えば外から見たらぼやのような火事でも人が亡くなっていたりするのはそのせいかと思っていた。

だけどその説明でもイマイチ納得できないのは古い木造家屋でも亡くなる人が多いのだ。何故だろう何故だろうと思っていたら、似たようなことを考えている人がいて、その方は「感覚脱落」という説明をされていた。
書かれたのは鴨下信一さんで、昨年末のサンデー毎日に書かれていたと思う。

鴨下さんがおかしい、と感じたのは火事を発見した人たちが一様に、火柱が上がっているのを見て火事だ!!と思ったといっていること。
そういえば確かに昔はそうじゃなかった。火柱が見える頃というのはもうかなり火が回っている状態で、その前に絶対「匂い」がしたはずなのだ。
「きな臭い」という匂い。それでおかしいと思ってよく調べたら火事だったというパターンがおおかったと思う。

ひょっとしてその「きな臭い」匂いに対するセンサーが退化してるんじゃないか、と鴨下さんは言う。
うーむ。そういえばなんだかやたらと死者が多いのも説明がつく気がする。
発見が遅れるし、何より当事者が全然匂いに反応しなかったとしたら…。

鴨下さんは「音」に対しての感覚も鈍麻しているという。それはなによりも街でも部屋でも大音量を浴びまくっているというのが理由。
繊細な音に対する感受性がどんどん失われているのではという推論である。
確かに大音量を浴びすぎると年齢と共に酷い難聴になるリスクを抱えてしまう。それは事実だ。

これらの感覚の「退化」についてその原因を視覚優先の現代の文化にあるとおっしゃるのだが、どうだろう。
何でも視覚優先。
こうやって打ち込んでいるネットからしてそうだなあ。

じゃあどうする。
少なくとも意識的ではいたいけれど、
問題はその先の生活行動なんだろうなと思う。


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