この日記で何度か紹介してきた、京都新聞の「創作の流儀」。 今回は詩人の谷川俊太郎さんだった。 本やエッセイ、雑誌などでのインタヴューで、谷川さんの創作活動についての発言を読んできているから、目新しい発言というのはなくて、重ねて詩に対して考えておられることを読ませてもらった。
改めてはっきりと語られていたことは 詩に意味を求めない、ということ。 例えば次のように
…詩を意味だけで追求すると、詩ではないもののに行くという思いだった。 今は、言葉が美しい、言葉の組み合わせが面白いということが、詩の一番の本質だととらえています。… そのために無意識に一番近い状態で出てくる言葉がいちばんだという。
…自分をいかに言葉のない世界、理性が働かない世界に持っていくかが一番の問題。瞑想とか座禅とかに似ているのかと思います。そういう状態で出てくるのが、いい、面白い言葉だと。…
だから谷川さんは散文と詩の違いを明確にしている。
…散文は立場を一つに限定せざるをえない。詩はそれをしないで新しい立場を作る…
世界は曖昧であり、人間もまたそうである。 その世界を肯定する詩とは。 谷川さんは考え続けている。ことは容易ではない。 世界を肯定する詩を人が肯定するとは限らないからだ。
詩と小説。全く違う作品群の中で、ぼくは同時に書いていきたいと思っている。「世界を肯定する」というただ一行の言葉で、ぼくは谷川さんにつながっている。 それはしかし、何よりも重い言葉だ。
詩はメディテーションがなければ生まれないとも思う。 流儀は自由。 いかに意識下に降りていけるか。 詩の生まれる瞬間はつくらなければ訪れないし、つくろうとしたら潰れる。
感覚から入り、思考で出て行く。今、心掛けていることではあるけれど…。
夜、モントリオール・ジャズ・フェスティヴァルでのチック・コリアの演奏をBSハイヴィジョンで聞く。 チック・コリア・トリオがこんなにクリアな音を出すとは。 嬉しい驚き。チック・コリアを最近、聞いていないなあ。
インタヴューでジャズの楽しみ方を教えてくれた。 ジャズにしかないもの。それはメンバー同士の音による会話。 インタープレイを楽しんで、と。 楽譜から音は飛翔していくものね。 ピアノトリオがいちばんわかりやすいかも。
ジョン・パティトゥッチのベースはいいなあ。
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