| 2004年09月25日(土) |
一緒に泣いてくれる声 |
ジャンが亡くなって、日にちがそんなに経っていないけれど、最後の宝物をジャンがおいていってくれたことに気がつきました。 それはいつもジャンを思い起こすこと。それがこれから生きていくことの糧になるということです。
そんなふうにしてまず思ったことは、何をするにつけ、「何のために」という発想そのものが傲慢だということ。目の前に消えかけた命がいたらそんなことは考えません。 そんなに大袈裟でなくても、「何のために生きる」という発想そのものが間違っている気がするのです。「なにかのためだけに」生きるように命は出来ていません。全てに対応して今を生きているのです。目の前の現実を一つ一つ生きていく。それ以外に何があるでしょう。
何者かになろうとすることから自由でありたいとも思いました。それでも人は何者かになってしまいますけれど。 信条は持ちます。それは、命を大事にして生きる、ということ。 それは「なんのため」でもありません。そう決めて、目の前を生きていくということです。
なにかのため、と思ったところから、それがたとえどんなにいいように思えても、おかしくなっていく。目の前の今を信念を持って生きていかなければ今を見失い、自分を見失う。
そんなことを今、考えています。
ところで、ジャンがいないことがあまりに辛くて音楽を聞くことさえ出来ませんでした。 全部、空々しく聞えてきて。 だけど少ないけれど一緒に泣いてくれる声がありました。 クミコさんの声とボビー・ウォマックの声とタケコさんの声。 彼や彼女がどんな人なのかは知らないし知る必要もないけれど、少なくともこの人たちの声に体と心がどれだけ救われたかわかりません。
もちろん詩に声が乗るわけですから、詩人も素晴らしいのですけれど。 悲しみの淵にいるときに、横にいてくれる声。 ほんとうにあり難く思っています。
それと心温まる、メールや書きこみをくださった皆さん、 ほんとうにありがとう。 どけだけ泣いたかわかりません。 泣くことだけが今のぼくにできることでした。
ジャンを連れて遠い斎場にいき、小さくなったジャンと家に帰ってきました。 これからハナや猫たちと暮らしていきます。 彼らだっていつか死ぬ日が来るのです。 彼らを残して死なないように、日々をきちんと生きていければと思っています。 いや、そう決めました。
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