「気づき」はいきなりやってくるもの。 書いていることの「イリュージョン」が浮かんできます。
立ち尽くして なにも考えずに 天井を眺めていて 自分を覗き込むように もう少し「開こう」かと呟いたり…。
たぶん ぼくは「声」をつかみかけているんだと思います。 そして、なにかはずせる障害なら 躊躇なくはずして踏み込んでいけばいいと。
今、アタマの中で時々ある人と会話しています。
都市の裏町、ジャズスポット、アル中、ヤク中、ネオン、いかさま師、ミュージシャン、喧嘩、傷、嘘、、、、そんな坩堝にいたころ。ぼくは学校に行かず、肉体労働をしていました。 その頃の経験が決定的にぼくをつくっています。
その時であった人に、尋ねています。もう亡くなって10年が過ぎています。 とにかく、来る日も来る日もその人の所でジャズを聴いてました。 詩を渡し読んでもらい、ジャズを論じ、酒を呑み、、厳しく優しい女(ひと)でした。 「これでいいかな」とひとこと。
昨日ぐらいから、晩年のマイルス・デイヴィスを集中的に聴いています。 「マン・ウィズ・ザ・ホーン」を聴くやいなや「ダメッ!」と言った人でした。
だけど、どう。最後のマイルスはジャズ本来の生々しさに立ちかえっていたんじゃないのかな。そう、尋ねてみたい。 最後まで「生きてるジャズ」にこだわり続けた。だから、ジャンルとしての「ジャズ」を飛び越えてしまった。そうじゃないか、と。
いま、普通のCDショップでソニーからワーナーに移って以降の晩年のマイルスを置いている店は本当に少ない。 ぼくは逆にそのころのマイルスばかりを集めて聴いている。もう、昔のものは覚えてしまっているというのもあるけれど。
<アタマの中でマイルスを鳴らせ!昔の音としてでなく、今の音として> そんな声が聞える。
晩年、80年代のマイルスはとにかくライブにつぐライブを徹底的にこなしていた。ジョン・スコフィールドもロベン・フォードもそのメンバーのなかにいたんだ。 それをもう一度聞きたいと思う。モントルーのライブ。
それともう一つのサントラを聴く。実は視覚の人でもあったマイルスのヴィジュアルと音の関係をダイレクトに聴き取りたい。 「死刑台のエレベーター」「ディンゴ」は素晴らしいし、もう一つのサントラの到着を今、待っている。
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