昼過ぎまで雨が降っていました。 少し寒いくらい。
ところでいま、部屋の中に胡蝶蘭があります。 とてつもなくゴージャスな花。蘭にも、はまると逃れられない魔力があって 部屋中、蘭だらけにしている人や、わざわざ蘭のための硝子の温室を作る人もいます。
なぜここにあるのかはちょっとワケありで、秘密です。 それにしても花として、ひとつの完成形をしていますね。 微細にして大胆。そしてあからさま…。
花は、どんな花でもすべて「完成形」であり、優劣はないのです。 あるのはそのフォームの違い。蘭の花はそのあるフォームの究極のようにも思えるのです。 下から見るとまるで絹のような花弁。そしてその中央部の微細な部分が外から見える開放性。温かな土地の樹の上に生えるという出自からも 艶やかさがうかがえます。 この花が濃い緑の滴りのなかに存在を主張するのならこうなるのでしょうね。
艶やかさの完成形とでもいいましょうか。
とても巨大な鉢で、手に余ってここに回って来たというところなんですけれど、これほどの胡蝶蘭をまともに部屋において見るのは初めてのことです。
蘭がよく記念や贈答に使われるのは花もちがとてもいいからで、実際、もう結構な日数になるのだけれどびくともしません。
もともとが熱帯の樹の上に育つものなので、乾燥気味でそだてるようです。水をやりすぎるとすぐに根ぐされをおこすみたいですね。 蘭系列の花だとデンドロヴュームも育てていて、これは何かのお祝いにもらったのを株分けしてずっと続いているもの。 デンドロヴュームは強くて、寒さにも結構耐えます。今年も花をつけてくれました。
蘭のある部屋で、きょうも「光函」の追加発注。次々と読んでくれる方からの反応があり、そのなかには、あ、こういうの書く人なんですね、というものもありました。 それは、ネット上ではなくぼくという人物を知っている方からで、そういうことを聞くたびに、自分の足元が「モノカキ」として固まっていく気がするのです。
誇らしくもあり、武者震いする怖さもあり、とにかく「自覚」というものを徹底して思い知らされます。「書くんだ」ということの。 ひとりでも読んで好きになってくれる人がいるのならば、その人のためにも全力で書いていかねばと思うのです。
感想をいただきながら、自分のためだけではもうありえないな、と思いました。 「書く」ことの足場をこの際、がっちりと固めさせてもらえそうです。
画像は上が胡蝶蘭。下がデンドロヴュームです。
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