| 2004年01月07日(水) |
わたしは何も持たない |
本の原稿の整理をしていて、いれるべきかどうかとても迷っている作品がある。 ベージ数の関係からいくと、余裕はあるように思えるのだが、「今、この本で」いいのかどうか。「今こそ入れなければ」いけないのかどうか考えている。 一度全部出してしまえばいいのかもしれない。そうすればはっきりわかるだろう。
それにしても今日は眠い。寒すぎて午前三時に目を覚ました。寒いことにかわりはないものの、もっと寒い日もあった。体調のせいかもしれない。 で、昼間はやたらと眠たい。たぶんアタマは夜型になりたがってる、というのがわかる。だけど体が許さないからね。daytimeになんか寝てられない。
予約してた歯医者に行って、歯石をぜんぶ取ってもらった。ついでにフッ素をつけて、消毒も。歯医者さんにはもう当分行かなくていい。歯痛で書けなくなるということは無くなったわけだ。
今日から「心太日記」というところで、毎月7日に「日記」を書かせてもらう。とりあえず第一回は、自分の言葉への自註となった。 「いのち」ということばを使った。なんだかんだと書きつづけていて、段々わかってきたことがある。とにかく「創る」こと。それしかないということだ。 次回からは「詩作品」か「掌編小説」にしたい。
何かによりかかるのではなく、少なくとも「作品」として完結させ、立たせなければ何にもならないということ。 それができるのならなんでもする。引っかかりがあるのなら、手を掛け足を掛け、掘ってみる。
ここのところの文芸誌に出ている短篇のプロットは、驚くほどゴザンスの各作品に似てきている。たぶん、シンクロが起き始めている。 流れができつつあるようだ。そんな中で書くぼくはなんだろう。 そういう自問はずっと続いている。 それでも「作品」なのだ。「創る」…本当にそれしかない。
何十年も生きてきたなかで、これほど自分を掘る場面に直面しただろうか、と思う。たぶん10代にけっこう本質的にそういうモノがあったように思うけれど、言語化できなかった。意識化できなかったということかな。 だからおもしろかったし、夢中になれた。 今はそういうわけにはいかない。それは人を傷つけるし、それでは何も生み出さない事を知ったから。
とにかくぼくの場合は書いてみること。そこにどこまでもこだわりつづける。 「声」や「音」を探すのも当然だ。 今度一人のジャズシンガーを聞く。彼女の「気」に触れたいから。 何も感じないかもしれないし、何か感じるかもしれない。
それが何かをうみだすのか。自分に問う日々は続く。
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