待望の詩集を手にしました。 「Ambarvalia」/西脇順三郎 の初版本に限りなく近い復刻版です。 詩集そのものは有名で、西脇さんの全集などには収録されているんですが、初版のイメージそのままのものを手にしました。
日本図書センターです。 いわゆる全集や文庫ではなく、詩集として世に出た時のイメージそのままのシリーズ。ほかにも朔太郎の「月に吠える」、中也「山羊の歌」、ぼくが次に買おうと思っている草野新平の「定本 蛙」など。
いってみればコレクターズアイテムです。 でも「詩集を手にとった」という感激がありますね。 朔太郎はよく読みましたが、西脇さんはそれほど読んでいなかったんです。たぶん、それが詩を書くぼくの枠をいまひとつ広げていない原因だと思います。
解題にもありますが 近代詩は萩原朔太郎から。現代詩は西脇順三郎から。この主張に深くうなづいてます。 どうしてもシュールリアリスト、というイメージがあるのかも。だけどいわゆるごりごりのシュールリアリストの詩ではないですね。 もっと自由です。はるかに。
超現実もドグマにまみれてしまっては硬直してしまうんじゃないかなと、ぼくなんかは思うんですけどね。 シュールな論理は素晴らしくても、そこから出てくる詩がとても貧しかったり。
西脇さんの詩は違います。 じゃあなにか。「享楽」…あえて言葉を上げるとするならそう。それも飛びきり上質の。常に地上から数cm浮き上がって暮らす人たちの部類。 あ、即座に反応した人がいそうだな。その人知ってるって…。
そう、そういう詩人はいるけれど、先達として、またその言葉の想像力の素晴らしさにおいて、西脇順三郎という詩人は魁であり偉大です。
その一行一行の練られ方。言葉の使い方。すべてが勉強になります。 いまごろ、と思われるかもしれないけれど、砂にしみる水のように西脇さんの詩が読めるまで、これだけ時間がかかったという事です。 血として肉として読めるまで。 昭和8年の初版。
冒頭の詩を。三行だけです。
天気
(覆された宝石)のやうな朝 何人か戸口にて誰かとさゝやく それは神の生誕の日。
遅まきながら凄い刺激を浴びています。
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