| 2003年09月20日(土) |
詩を書く、ということ。投稿する、ということ。 |
いつも詩を投稿している婦人公論が届きました。 男のくせに何故「婦人公論」なのか、という方もいないわけではありません。
現代詩の最前線で、ぼくが優れた詩を書くかただと思っている詩人はたくさんおられます。その中で、月刊のペースで公募の選評をやっておられる方が婦人公論にのみいたということから、購読も応募も始まったのです。 その詩人が井坂洋子さんでした。
今回は投稿が遅れたという事もあって、選には関係なかったのですが、そういう時でも欠かさず読んでいる選評に、今月は一段と感じ入ってしまいました。
この「詩フォーラム」というページには最近、新しい投稿者が増えているといいます。新しく選に入る人がいます。常連の人もがんばっています。だけど、入選のある無しにかかわらず、井坂さんから丁寧に詩論が語られたり、書くことの大切さ説かれたりします。
今回は「吐け口でもけっこう」というタイトルでした。詩が苦しい日常のはけ口であってもかまわないという主旨の事が書かれていました。それに続いて次のようなくだりが続きます。
まず、書くこと、清書して投函すること それは生への執着のひとつの形で(作品への) 第一歩だと思います。 作品になるには、最低限の体力と気力、感じる心、 ことばへの関心が必要なのですが 焦ってもしかたありません。 …そして詩集ではなく、投稿原稿を見て (詩と)書き手との一筋の繋がりを意識します。 それも投稿のよさでしょうか。
井坂さん、ご自身が投稿で見出され、「現代詩人」として歩みを始めた方です。だからでしょうか、投稿者への言葉がじつに「ぴしゃり」と決まります。 上に挙げた「書くこと〜」から始まる一節は、ぼくにとって基本とも言うべきところです。必ず立ち戻る原点といっていいです。
婦人公論の応募原稿はB4サイズの原稿用紙が指定されています。その大きな桝目に一字一字清書することは、PCとはまた別の緊張感が走ります。文字の顔、言葉の顔が見えるんです。何度も書きなおしたり、ペンの太さを替えたりもします。 そのことの大事さに気がつきました。
「吟味」のひとつの方法です。
今月は昨日、投稿しました。随時募集ですから〆切りはありません。自分の中で設定しなければいけません。 選に入ったり、佳作に選ばれたり、そのつどうれしいものですが、いちばん大切なことは「読んでもらおうと送ること」だと思います。 それはネット上でもそうだと思います。
自らの字を眺めながら、考え、直し、整えて送る。 そのことだけで生きることを豊かにもできるのですから。
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