斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2006年02月17日(金) |
資本主義者にとっての宗教 |
僕は、多くの宗教に違和感がある。
「今生は不幸かも知れないけれど、来世で幸せになれます、だからお布施しろ、ゴルア!」 というあたり。
多くの宗教が、今生の不幸はあきらめろ、来世で幸せになれ、という。 祈れ、信じろ、お布施しろ、自爆しろ。
四半期決算の資本主義者は、四半期ごとに着実に利益を上げていかなくてはならない。 今生の人生だけではなく、四半期毎に今期は、幸せだったかどうかを検証する。 僕が死ぬときに、「いろいろあったけど、ああ、いい人生だったなあ・・・」と考えることも難しい。 「僕の人生は最悪だったけど、来世ではきっと幸せになれるのだろう・・・」などという考えは及びもつかない。
「来世の幸せのためにお布施を収める」、ってことは、今期は赤字決算でした、赤字です、でも来期以降の成長のため、投資を行います、という事。 アラーを信じて、自爆テロを行うことは、株主利益に反する事。 自分という人間を生み出した両親、先祖という創業者に対する裏切り行為だ。 人だって、企業と同じく、多くのステークホルダーに囲まれて生きている。 ステークホルダーの期待に応え、きちんと利益(幸せ)還元をしていかなくてはならんのだ。
人生をあきらめる、って事は、僕という個人を経営する経営者としては、あってはならない事。 今生をあきらめて、来世の幸せを、などという多くの既存宗教が持つ考えかたが理解できない。
「お布施をすればきっと幸せになれますよ」。 じゃあ、投資として、お布施はするけど、投資対効果はどうなのよ。 きちんと、お布施の投資対効果を僕が納得できるように説明しろ、と。 宗教には投資家に対する説明責任がないのか? 投資だけで、リターンは来世で、ってあり得ない。 こっちは四半期決算なんだよ。 人生いろいろ、どころじゃないんだよ。 来世どころじゃないんだよ。 資本主義者は、ちゃんと四半期ごとに、ステークホルダーの期待に応えつづけなきゃいかんのだよ。
四半期ごとにステークホルダーの期待に応えつづける人生、っていうのもそれはそれでおかしいのかもしれない。
でも、今生をあきらめて、来世で何とか、と言って、お布施や犠牲を求める宗教もおかしいんじゃねーのか、と思う。
宗教団体は、資本主義者の僕からすると、何の根拠もなく無限大にPERが増大し、株主配当もコミットしない虚業企業みたいなものだ。
その点、禅なんぞは、いわゆる宗教ではなく、哲学だからいいよね。 宗教ももともとは、哲学だったり、正しく生きるための戒律だったりしたハズだ。 宗教を宗教団体がダメにしただけなのかも知れない。
僕は宗教そのものは、否定しないけれど、宗教団体は、否定する。 分散投資が基本である投資家の僕としては、お盆とお彼岸は仏教、クリスマスはキリスト教、お正月は神道。 日本人の節操のない宗教観は、資本主義者としては、それはそれで正しい、という気もする。
信じる者は救われる。
信じない者は、救わないのね。
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