斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2005年12月29日(木) |
戦争機械としての決断 |
僕は自分は「戦争機械」なのではないか、と思う。 常に戦争状態でなければ、落ち着かない。 戦争状態でアドレナリンが出まくっている状態が最も快感を感じる。
現在の日本は、戦争状態ではないので、戦う場はビジネス、ということになる。 戦略コンサルタントになったのも、「戦」という言葉が職業についていたから、という深層心理があったのではないか、とも思う。 戦闘状態にいるときが、最も精神状態が安定する。 自分がギリギリの場所まで追い詰められているとき、僕のスイッチが入る。 自分自身で、戦闘モードへスイッチが切り替わっていく瞬間を認識できる。
僕は、日常はだらだらした性格で、お気楽系なのだけれど、ある瞬間にモードが切り替わる。
僕はよく「なあ〜んかドライブ感がないなあ」とつぶやく。 戦闘状態にないことを、ドライブ感がないなあ、と表現している。 退屈している。 そして、戦闘状態になると、スイッチが入り、自分自身の状態が変化する。
僕は、「戦争機械」。
もっと戦争したいよ〜。
僕は大部隊を率いて、量で戦うタイプではない。 スペシャリストで構成された少人数の特殊部隊で、最初に敵地に潜入し、先制攻撃をかけるタイプだ。
チームにはいくら優秀であろうとゼネラリストはいらない。 僕は、特定領域において絶対的な信頼をおけるスペシャリストでチームを構成したい。 優秀なゼネラリストが集まっても、戦闘はできない。 ゼネラリストには全幅の信頼を置く事ができない。 僕は、スペシャリストで構成されたチームを率いたい。 僕がチームメンバーに求めているのは、何でもそつなくこなす事ではない。 個人戦ではなく、チーム戦を志向しているので、チームとして強くなりたい。 そのチームにはスペシャリストが必要なのだ。
戦略コンサルタントとしての鬱憤は、戦略コンサルタントがスペシャリスト集団ではなく、ゼネラリスト集団である事。 僕のチームのコンサルタントは優秀だし、キャッチアップも早い。 たぶん僕よりも20くらい学力偏差値も高い。 だけど、しょせんはゼネラリスト。 なので、僕の理想とするチームは構成できない。 命を預けられない。
僕自身を振り返ってみると、僕自身も結果的にはゼネラリストになりつつある。 スペシャリストで構成されたチームを率いる、ということを夢見ているので、統率する側としては、結果的にゼネラリストにならざるを得ない。 自己矛盾だ。
数年前までの僕の仕事、チームは社内外を問わずに構成されたスペシャリストチームだった。 プロジェクトチームの所属は全員が傭兵で、チーム全員の所属企業すらもバラバラだった。 寝食をともにして一緒に戦っているのに、所属は違う。 国籍すらもバラバラ。 でも、チーム。 チームメンバーはスペシャリストの傭兵。 僕は、自分の理想とする傭兵の世界に戻ろう、と思う。
優秀ではあっても、命を預けられないゼネラリストと一緒に戦うのは苦痛だ。
僕は、スペシャリストとチームを組みたいのだ。 スペシャリストのリーダーになりたい。 僕にとってのチームは、スペシャリスト集団。 ゼネラリストのエリート集団ではない。
年が明けたら、僕は行動に出る。
僕の来年の行動は、荒唐無稽に映るかも知れない。 だけど、僕は、原点に立ち帰るだけ。 かつてのチームを復活させる。 バーチャルではなく、リアルの世界で。
命を預けられるスペシャリストでチームを再構成する。
今はまだ具体的に書くわけにはいかないのだけれど、年が明けてしばらくしたら、具体的に何をおっぱじめるのかを書けると思う。
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