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2005年10月30日(日) がんがれレイザーラモンHG「住谷」

レイザーラモンHG。
僕は何気に好きである。

薄い関係ではあるけれど、僕は学生時代、レイザーラモンHGの所属していたプロレス団体の興業を手伝っていた。
音響と照明がメイン、演出少々。
レイザーラモンが所属していたサークルの責任者が僕の友人、ということもあり、お手伝いしていた。
世代が異なるので、レイザーラモンとの直接的な接点はない。

プロレス団体、といっても当然ながらストロングスタイルでなく、綿密な打ち合わせに基づいたある意味演劇的なお笑いプロレスである、
僕は、その音響や選曲、照明、ネタ出しにより、盛り上げ役をのお手伝いしていたワケだ。

当時のそのプロレス団体リーダーである僕の友人は、「戦うブルジョアジー」。
帰国子女のブルジョアだった。
レスラーなので、デカいアメリカンのバイクに乗り、大学に通っていた、
何度か家に泊めてもらったり、何度も旅行にもいっしょに行った、
スキー経験ゼロの僕をゴンドラで頂上にまで連れて行き、「さて、下まで降りるぞ」。
僕は、1日でスキーを覚えさせられ、2年後にはスキーのインストラクターれるところまで上達した。
大学卒業後は、某国営放送局に就職し、その後、MBAホルダーである。

レイザーラモンの所属していたプロレス団体のメンバーはことごとく善人だった。
楽しかった。

プロレス興業では、ある程度ベタな部分がお約束だった。
最後の締めは、いつもと同じ予定調和でなくてはならない。

「筋肉隆々の戦うプルジョアジーが、痩せ細ったプロレタリアレスラーを倒して終わる」
非サヨク。
観客は、その毎度毎度同じストーリーを求めていた。
負けた、やせ細ったプロレタリアレスラーはリングの上で、赤いスポットを当て、悲しいメロディのなかで、パンツを脱がされて販促負け。
・・・今回もブルジョアに負けました・・・。

学生プロレスは、シナリオベースが基本だったのだけれど、肉体的トレーニングも欠かさない。
そのアホさ加減とストイックなトレーニングのギャップが僕は大好きで、いつもバックステージで応援していた。

僕が大学を卒業して、何年か経ってから登場してきたのがレイザーラモンHG。
だから、というわけではないけれど、僕はレイザーラモンHGが好きだ。
低俗だとも思わない。

レイザーラモンの人気はいつまで続くかわかるかしれないけれど、久々の「ゲイ人魂」を持った「漢」である、と思う。
あのアホパワーは卒業後も受け継がれていたのだな、と少しうれしい。
がんがれがんがれレイザーラモンHG「住谷」。

■日本の親にメディアリテラシーは無いのか
吉本興業はなぜレイザーラモンHGを売り出すのか
http://www.itoyama.org/contents/jp/days/2005/1018.htmlhttp://www.itoyama.org/contents/jp/days/2005/1018.html




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