斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2005年09月15日(木) |
「禅」と「スーパーバイク」と「爆音ギター」 |
ずっと昔、禅を中心とする東洋思想の本ばかり読みまくっていた時期があった。 「無」ってなんだろう、みたいな。 当時の僕は、デジタルな世界に没頭し、どこまでが自分の脳だか身体だかが良くわからなくなりつつあった。
僕が素直に日本人としての自分を見つめ直すハズもなく、欧米人が日本の「禅」の神秘性に憧れるのと同じく、ガイジン目線で洋書で「ZEN」についてお勉強していた。 東洋かぶれのガイジンみたいな感じ。 サンフランシスコのヒッピー経由の逆輸入。 僕はコテコテの日本人だ。 「神は自分のなかに存在するのだ!自分のインナースペースをとことんまで見つめ直せ」みたいな。 道具に頼る僕は、シンクロエナジャイザーを目にあてて、「ZAZEN」プログラムを脳に流しつづけた。
当時の僕は音楽をコンピュータの打ち込みで制作していた。 スタジオでバイトしていたので、機材は使い放題。 打ち込みで音楽を作っていると、妙な感覚に陥る。 自分の感性とか心を数値化しているような気分になってくるのだ。
ピアノの鍵盤でドミソを同時に押さえる。 コードのCである。 Cメジャー。 ドミソのミを半音落とすとCm。 明るかったCコードがマイナーコードになり、少し悲しみを帯びた音になる。 ミを半音下げただけなのにどうして僕は悲しくなるのだろう。 マイナーコードの響きを悲しく感じるのは人類共通だろう。 何かのトラウマか? 人類は、3度の音が半音下がると、原始の悲しみの記憶を思い出すとでも言うのだろうか? そんなはずはない。
加えて音色。 僕は音色を、3Dでビジュアル化して作っていた。 3Dの地図みたいな画面をぐりぐりいじる。 3Dのそれぞれの軸は「時間」、「周波数」、「音量」である。 この3つの要素を組み合わせて音を作る。 デジタルなので、全て拡大してみれば階段状である。 階段の段差の幅が即ちサンプリング周波数。 階段の段差を細かく分解すればするほど音は良くなる。 それに伴ってデータ量も増えていく。
僕は、人間の耳が認識できるギリギリまでデータを切り詰めて作業していた。 人間の認識力なんていい加減なものだ。 ある程度まで、デジタルの階段を細かくしてしまえば、認識不可能になる。 可聴周波数は、20Hz〜20,000Hzくらい。 分解能は44.1kHz。 そのあたりが落としどころ。 スタジオの機材、環境であれば、もっと細かいところまで可聴できるのだけれど、リスナーがCDを聴く環境は、クルマのなかだったり、イヤホンだったりと劣悪である。 ミックスダウン後のマスタリングはその劣悪な環境での再生を前提としている。 世のCDは、劣悪な環境で聴くことを前提に作られているのですよ(マメ知識)。
そして、そのデジタル3Dの山や音をPCでいじっているうちに、「人の感情」をデジタル化して解析しているような気持ちになってしまった。 ノリって何だ?「スネアの音を数ミリ秒速めてみよう」。 ギターソロでギターが前に出てきた感じを出したい。実際のライブでエレキギターを構えたギタリストがステージの前に出てきても、アンプの位置は同じだし、PAでミックスされているので大きくなるワケがない。 単純にギターの音を大きくすりゃいいじゃん、とかイコライザーで高域をブーストすればいいじゃん、というのは邪道である。 僕はデジタルリバーブで、正面から聞こえてくる音と、壁に跳ね返って返ってくる音を計算し、ミックスした。 ギタリストが移動すると壁から反響する音が変化する、というマジックを使った。
そんなことを続けていると、だんだんと泥沼にハマる。 僕は、人の感性だとかを数値化することがつらくなっていった。
結果。
僕は、アコースティックピアノとアコースティックギターだけでライブを行った。 今で言うアンプラグド。 計算し、デジタル解析され尽くした脳による感性じゃなくって、身体性が欲しかった。 音はできる限りスカスカにした。 無音の状態だって音楽だ。 音の「間(ハザマ)」を聴いてくれ。
それが、僕の学生時代。
そして、それから長い月日が流れた。 僕は、またデジタルの泥沼にはまった。 ビジネスの世界は数値の世界で、勝ち負けがハッキリつく。 0か1か? 複雑性は0と1の組み合わせでしかないのだろうか? 僕の身体と脳はまたもや乖離をはじめた。
僕は、デカくて速いバイクと爆音ギターに逃避することにした。 バイクで走るとき、爆音でギターをかき鳴らすとき、そこには確かに身体性がある。 自分の肉体を感じる事ができる。 身体と脳がきちんと繋がっている事を実感できる。 アナログ機械は、僕の肉体の一部と化す。 僕はデジタルじゃない。
そして、無の境地を感じる。 これが「禅」と「スーパーバイク」と「爆音ギター」。 バイクもギターも機械だけれど、アナログで僕の身体の一部と融合する。 僕は電脳化され、ネットワークの一部に融合してしまった存在かもしれないけれど、生身の肉体もたっぷり残っている。 脳は、脳だけで完結しているんじゃなくって、身体と不可分な存在だ。
近所の人、バイクやギターの音で迷惑かけてごめんなさい。 一応、できるだけ音は小さくするように気は使ってます。
脳と身体の乖離を感じたならば、自然のなかで、スポーツをすることが一番良いそうです。 はあはあぜいぜい言って、おいしい酸素を一杯吸うぜ!
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