斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
β版
目次 | <<前へ| 次へ>>
僕は、体制側に属する人間だ。 そして、体制を維持するために存在している。 だが、僕個人は、反体制的な性格である。 僕は、体制のなかにいる破壊者だ。 「創造的破壊」、「イノベーション」、「改革」と言った美しいものではない。 では、反体制的な破壊者である僕がなぜ、体制の中にいて、体制を維持する側にいるのか?
それは、体制を維持するためには、体制を内部から絶えず破壊し、変化させ続けなくてはならない、と思うからである。 僕は、体制維持には反体制的な異分子が必要だと思う。 体制を維持するために、体制を破壊する。 破壊的保守。 保守のための反動。 保守反動とは似て非なるもの。 保守であるが故に破壊を実行する。 僕にとっての保守とは、絶えず変化をもたらす事だ。 体制を同じ状態で維持することではない。 破壊し、再構築を続ける。
企業であろうと、国家であろうと、体制は変化なくして存続することはできない。 変化し続けることこそが、体制の維持である。 ガラは変わっていなくても、内部は全くの別物に変化させ続ける。 それが、僕にとっての保守だ。
体制のなかの異分子が、結果としては淘汰されることになるとしても、異分子が生まれる土壌は必要だ。 均質なシステムは存続することができない。
荘厳にくみ上げられた体制は、変化を嫌う。 だが、非連続な変化なくしては、体制は存続することはできない。 変化のための異分子を生み出す事ができなくては、体制に未来はない。
僕は、体制の外からみれば、体制擁護者にみえるだろうし、体制の側からみれば、反体制者だ。 だけど、僕の中では、体制を維持するために、あえて体制を破壊し続けている、と認識している。
そして、僕は外部からではなく、内部から破壊を実行しようとする。 僕には「何か」を変えたい、という衝動が強い。 僕は「何か」を変えるためには、新たなる勢力をゼロから作り上げるより、現状の体制を内部から破壊していったほうが効率的だと考える。 旧体制、大企業は、資金も人材も豊富だ。 旧体制は、システムとしては機能不全を起こしているかもしれないけれど、そこには再利用可能な大きな資産がある。 ゼロから新しい対抗勢力を作り上げるよりも、既に存在する資産を再利用するほうが効率的だ。 僕は体制のガワだけ残して、内部の資産を活用し、内側から破壊し、変革を行う。 構造化された体制を内側から破壊し、再構築しようとする。
これは、僕がサラリーマンになる前、学生時代に、大企業を就職先に決めたときから変わっていない。
目次 | <<前へ| 次へ>>
|