斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2005年03月27日(日) |
地球儀ソフトで遊びながら思った |
僕には日本国民としての愛国心がほとんどない。 日本という国家への所属意識もない。 日本への愛着があるとすれば、食事と日本語くらいだ。 食事と言っても、和食ではない。 長期間海外に滞在すると、食べたくなる日本食は、「カレー」、「ラーメン」、「焼肉」、「牛丼」である。 「牛丼」に関しては、今では米国に行ったほうが、本物が食べられるけど。
愛国心のない僕にとって、日本という地理的な制約のなかで、特定の政治や宗教のシステムに組み込まれてしまう事は苦痛だ。 かと言って、僕が国籍を変えようと思うと実際には難しい。 10年くらい前、年間の3分の1くらいを日本国外で過ごしていた僕は、日本国籍を捨てようか、と画策していたことがある。 海外の単一の国に長期滞在しようとすると、ビザやら税金やら何かと面倒だったからである。 でも、よく検討してみると、日本のパスポートを保有している事はメリットのほうが大きいので、日本国民でありつづけることにした。 日本語しかマトモにしゃべれないし。
そして、日本国民であり続ける最大の理由は、日本が実態の曖昧なワケのわからないモヤモヤ国家であるからだ。 確固とした資本主義でもなく、社会主義でもない。 特定の宗教にも依存していない。 日本が日本でありつづけるのは、四方を海に囲まれているという地政学的特性によるものだと思う。 僕が日本国民でありつづけているのは、そのいい加減さが心地良いからである。 日本人は「神に誓って」などという表現を使わない。 仮に「神に誓って」と言う場合も、人によってその「神」の概念はバラバラである。
日本は、地政学的には隔離されているはずなのに、どういうわけかアイデンティティーを持たないミクスチャー国家になってしまった。 そして、そのアイデンティティーのぐちゃぐちゃさ加減は加速する一方である。
僕は、その日本国民としてのアイデンティティーのぐちゃぐちゃさ加減こそが、日本人の日本人であるところなのだと思う。 日本人が日本人である事を意識しないのは、海という「自然の国境」に守られた国で生まれ育ち、「人為的に作られた国境」を意識することが少ないからかも知れない。 「自然の国境」で隔たれているからこそ、逆に自分達のアイデンティティーを敢えて意識することがないのではないか、と思う。
テクノロジーの進化により、物理的、精神的に地球は狭くなった。 なかでもネットワークによる精神的な部分の障壁は、言語の問題くらいである。 日本人が日本人であることを意識するのは、サッカーのワールドカップくらいのものだろう。
いずれ世界の国々でも、日本と同じく、人為的に引かれた国境の意味は薄れていくだろう。 世界単一国家が生まれるのではない。 人為的に引かれた国境線はの持つ意味合いが小さくなる。 僕にとって、国という単位は、たまたま住んでいる地方自治体程度の意味しかない。
文化も宗教も民族もそれぞれ細々と残るだろう。 だけどそれが、地理的に分け隔てられ続けるものなのか? 地理的な国境線の意味合いは、どんどん薄れていく。 強制力で維持し続けられるのだろうか? もちろん、行政単位として、世界単一国家、世界単一政治体制などは、あり得ないし、あってはならない。 主義や思想を単一化するような強制力が働いてはならない。 行政単位は「システムの運営の便宜上」、残らざるを得ない。 だけど、僕は個人単位思想や宗教、システムは、ぐちゃぐちゃのミクスチャーになるだろうし、なるべきだ、と思っている。 既存の様々なシステムや思想が個人単位で入り乱れたアナーキズム。 アナーキズムという言葉が適当でなければ、ミクスチャーでもコンプレックスでもモザイクでもいい。
システムも宗教も文化も本来は地理的にはアナーキズムであり、ミクスチャーであり、コンプレックスであり、モザイクなのだ。 地理的にも時間軸的にも。 時間軸でも同じ状態が、「干代に八干代にさざれ石のいはほとなりてこけのむすまで」続く、という事は難しいだろう。 流動し続ける。 たまたま生まれた場所で人のアイデンティティーは決まらない。 僕は、人為的に引かれた国境線のなかで国民としてのアイデンティティーを感じろ、と言われても困る。 僕個人のなかでさえ、アイデンティティーはぐちゃぐちゃなのだ。
たまたま生まれた地域によって政治システムや宗教を分ける事は無理があると思う。 日本に住んでいれば仏教徒で、インドに住んでいればヒンズー教徒で、アラブに住んでいればイスラム教徒なのか? そんなことはないと思う。
日本人である僕は、無宗教、というよりも何でもあり教徒である。 お盆には仏教徒になるし、クリスマスにはクリスチャンになるし、正月には神道だ。 僕の行動の指針に対するお告げを与えてくれるのはYahoo!の占いだ。 僕自身の葬式は、電飾霊柩車でエレクトリカルパレードをBGMにして欲しい、と思う。 お墓には僕のデータが詰まっているHDDを埋めてもらいたい。 僕の寿命が尽きる頃は、僕のことを一番理解しているのはサーチエンジンかもしれない。僕の「事実上の実体」ですら、いずれどこかのサーバー上に分散されて配置されてしまうかもしれないのだ。
僕のアイデンティティーは、メールアドレスとドメイン名である。 個人メールアドレスと個人ドメイン名は、本名ベースの独自ドメインなので一生変わらないだろう。 WHOISで検索できる僕の情報が僕なのだ。 いずれGoogleが僕自身より僕を深く理解するようになるかもしれない。 現在でもじゃんじゃん届くジャンクメールやダイレクトメール、テレアポの業者は僕自身より僕について知っているようだ。
国家単位でも、僕という個人単位でも、現在はアイデンティティは実体を喪失しつつ、デフォルメを続けている段階にあると思う。
と、「NASA World Wind」で遊びながら思ったのであった。 「NASA World Wind」は、こんな妄想を抱かせるほどとんでもなく凄いです。
また、ワケのわからない文章になってしまった。
■地球全体から道路1本まで眺められるNASA製3D地球儀ソフト「NASA World Wind」 http://www.forest.impress.co.jp/article/2005/03/07/nasaworldwind.html
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