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2005年03月21日(月) 妄想と現実のループ

リアルワールドは僕らの脳内の妄想を反映したものである。
僕たちが生活しているリアルワールドは、僕らの脳内で生み出された妄想の産物。
都市は、自然ではない。
自然は、人工物である。
少なくとも僕らがこの国で接する自然の多くは、既に「自然」ではない。
街も森も海も僕たち自身も。
全ては僕たちの妄想が反映されている。
と、養老さんは言っていた。

僕らは、僕たちの脳内に生まれる妄想をリアルの世界に反映し続けて来た。
それが、文明ってやつだ。
脳内で生み出された妄想やイメージをリアルの世界に変換し続けてきた。

二次元世界も三次元世界も同じなのだ。
三次元世界も僕たちの妄想が生み出した。
僕たちの生きるリアルワールドは脳内ワールドの反映である。

二次元(妄想)であろうと三次元(現実)であろうと、行き着く先は同じ。

個人が二次元(妄想)世界にとどまろうと希望するならば、それは自閉にとどまり続けるしかない。
コミュニケーション遮断しても、世界との接触を試みるのであれば、もう個人の脳内にとどまった世界にはいられない。

脳が生み出した妄想は、リアルワールドへと転換される。
人間がこの世界で生きている以上、リアルワールドとの接点を絶つことはできない。
妄想は現実化され、現実は新たな妄想を生み出す。

現実化されても、全ての妄想が生き残るということではない。
生み出された無数の妄想は、エコノミクスによって淘汰される。
神の見えざる手。
エコノミクスによって淘汰される。

1960年代のSFで語られた21世紀に僕たちは生きてはいない。
1960年代のSF作家、漫画家、映画監督、夢想家達が妄想した21世紀は、僕たちが暮らす21世紀とは別次元の世界である。

腕につけたテレビ電話で会話している人はいないし、巨大ロボットは戦っていないし、僕は月旅行をしたことがないし、宇宙ステーションにもスペースコロニーにも住んでいないし、世界は人工知能に支配されていないし、キーボードはQWERTYだし、クルマにはハンドルがついているし、空も飛んでいない。
サラリーマンはあいかわらずスーツを着てペコペコと頭を下げている。

一方で、電車のなかでは、老若男女が親指でパチパチと小さなコミュニケーション機器をいじっている。
テレビチャンネルは膨大に増加し、世界のニュースはいつでも見ることができる。
バーチャル世界では、あちこちで小競り合いが起きている。

僕たち自身は一万年に渡って何らバージョンアップもバグフィックスも受けていない。
だが、僕らの脳による妄想が生み出した世界は、僕らの外的環境を激変させてきた。

妄想は現実世界へとつながり、現実世界は妄想を加速する。
妄想と現実の連鎖。

妄想は、新たなる現実を生み出し、神の見えざる手によって選択される。
選択された現実は、また新たなる妄想を生む出す。
神の見えざる手=市場=エコノミクスによって選択されなかった現実は淘汰される。

僕たちが自覚できる最小限のエコシステムである自分自身からコミュニティー、国家、世界まで。
僕たちが意図的に関与可能なエコシステムのなかで、妄想は生まれ、現実へと反映され、現実は新たな妄想へと再転換される。

妄想と現実はループする。
表裏一体の関係なのだ。
二次元も三次元も結局のところ等価に収斂する。
神の見えざる手による等価への収斂速度に違いがあるだけだ。
現実か妄想か、二次元か三次元か、リアルかバーチャルか。
それらに大きな違いはない。

現実などない。
妄想などない。
リアルなどない。
何もない。
無。
空。
空即色是色即是空。
ちーん。

ジョン・レノンの歌か般若心経みたいだ。

と、今日の時点では思ったのであった。
明日はわからない。
まだ悟りには遠い。




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