斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2004年10月26日(火) |
市場との対話で生まれるブランド価値 |
ブランド価値の持つ意味が様変わりしてきたな、と思う。
バブルの頃、ブランドは「記号」だった。 その商品がモノとして本来の価値を持つかどうかではなく、記号的付加価値を持っているかどうかがブランド価値だった。 ブランド価値とは、商品が持つ実質的な価値ではなく、記号に過ぎなかった。 広告、マーケティング戦略によって創り上げられた記号が付加価値を生んでいた。 ブランドロゴが強い価値を持っていた時代だった。 消費者はロゴの持つ付加価値に貨幣を支払っていた。
バブル以前のブランドは「神話」で成立していた。 メルセデスの安全神話、オメガの宇宙旅行、ロレックスのドーバー海峡遠泳。 ブランドは神話によって、価値を生み出していた。 消費者は商品価値だけではなく、神話に、物語にお金を支払った。
だが、バブルが崩壊し、ブランドは記号的価値を失った。 DCブランドと呼ばれるデザイナースブランドは真っ先に崩壊した。 保守の時代であった90年代、過剰なデザインが施された衣服は、恥ずかしいものとなった。 差別化、差異化のためのエネルギーが、オフィスやビジネスの場にそぐわない過剰なデザインへと向かった結果、デザイナースブランドのスーツはホストのスーツとなった。 今、ダブルのイタリアンスーツを着ているようなオフィスワーカーはいない。 過剰な差別化、差異化はブランド価値を損なっていった。
世紀が変わり、ブランドは神話でも記号でもない、実質的な機能なりの「価値を保証するもの」となった。 現代においては、品質や価値を保証するものがブランドである。 ユニクロやGAPのブランド価値は高級品としての付加価値ではなく、低価格であり、その低価格に見合ったクオリティーを保証する服としてのブランドである。 ユニクロもGAPも高付加価値商品の提供は行っていない。 記号的な付加価値を持つブランドではない。 記号的付加価値によって、高価格を維持することが目的ではない。
ユニクロは心斎橋にユニクロ+(プラス)をオープンし、脱低価格宣言を行った。 僕は、疑問に思った。 常道をはずしているからである。 通常、低価格ブランドが高級品に商材を広げる場合、ブランドを分ける。 ブランドはユーザーが抱くブランドイメージに混乱が生じないように、低価格ラインと高価格ラインを分ける。 GAPにとってのバナナリパブリックであり、ロレックスにとってのチュードルであり、アウディにとってのフォルクスワーゲンである。 ユニクロは「+」をつけることをしているものの、同じユニクロブランドで高価格帯への展開を行うようだ。 ユニクロ=安物のブランドイメージが消費者のなかで、固定化されているなかで、高価格品をどうやって売っていくのだろう? ユニクロはこのブランド戦略を失敗すれば、従来の低価格、価格の割には高品質、というせっかく築き上げたブランド価値も喪失する。
ユニクロの脱低価格宣言後の商品ラインを見てみると、答えがわかった。 ユニクロの脱低価格宣言は、高級品へシフトを意味するのではなく、単に高価格帯の商品も商品ラインナップに加えますよ、というものだった。 ユニクロはブランドを高付加価値商品にシフトしているのではなく、レザージャケットやカシミアといった高価格帯の商品も取り扱います、と言っているだけなのだ。 脱低価格宣言は、高価格帯の商品も今まで通り、価格の割に高品質で提供します、という宣言なのだ。 僕もきちんと商品ラインナップを見るまではわからなかった。 消費者はユニクロのメッセージに混乱しているだろう。 ユニクロの脱低価格宣言に対して消費者は、ユニクロが今まで築いてきた低価格、その割には高品質、というブランド価値を捨て、高価格高付加価値にシフトするのか、というメッセージとして受け取りかねない。
現代のブランド価値は記号でも神話だけでもない。 実質的な価値を保証するために存在している。 消費者に対してわかりやすいブランド価値、実質的な価値の訴求をしないと、消費者の混乱を招く。 ブランドとは企業の消費者に対するメッセージである。 そのメッセージは、広告、マーケティング戦略ではなく、商品や店舗、従業員から企業姿勢そのものからも発せられる。
現代においてブランドは企業と市場の対話を体現するためのものである。 企業は、市場との対話のため、広告、マーケティング、商品、企業姿勢と企業全般に渡ったブランド価値創造のためのわかりやすいメッセージの発信が求められる。
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