WEBLOG
斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」

β版

目次  <<前へ 次へ>> 


2004年10月16日(土) 戦争と過剰な献身

アーサー・ケストラーによると、戦争行為は「過剰な献身」によって生まれるのだそうだ。

人間はどの動物よりも生まれてから長期間、無力である。
成人するまで親や社会からの庇護を必要とする。
人間は出生から幼児期、成人するまでの間、全面的に外部に頼らざるを得ない。
こうした人間の持つ外部に対する依存性が、個人や集団によって統御された権威や教義、道徳規範に服従、盲従、洗脳に近い状態をもたらす。
洗脳された個人は自分の属する国家、集団に「過剰な献身」を行うこととなる。
僕は希望して日本人に生まれてきたわけではない。
両親を選んで生まれてきたわけでもない。

戦争行為は、外部に対する闘争本能や攻撃性から生まれるのではない。
部族的信条や神聖なる戒律、政治スローガンに対する「過剰な献身」、「忠誠心」から生まれる。

旧日本軍は「鬼畜米英」に対して、憎しみから戦ったのではない。
「天皇陛下万歳!」と叫んで、戦い、死んでいった。
北朝鮮の人民は、もともと日本に対して悪意を持って生まれたというわけではない。
金正日という個人、主体思想に対して「過剰な献身」、「忠誠心」を見せているだけである。
そこには個人的な恨みや、闘争本能、攻撃性は見られない。
偶然生まれた国に対する忠誠心などもともとはなかったはずだ。
地理的にたまたま生まれた国だ。
誰かが勝手に引いた国境線だ。
宗教や戒律だって、その地理的、気候的、地政学条件によって生まれた偶然の産物だ。
偶然生まれた国や集団に対する「過剰な献身」、「忠誠心」。

戦争行為は、フロイト的な抑圧された闘争本能の発露ではない。
自分が所属する集団、族に対する「過剰な献身」「忠誠心」から生まれる。
外部からではなく、内部から外部に向けて闘争、戦争は生まれる。

人間は自分の所属する共同体、集団、集合に盲目的に従う。
それは、人間の性である。

そして、その「過剰な献身」、「忠誠心」を利用した命令は「言語」を通じて行われる。
教義であったり、政治スローガンであったり。
「言語」を通じて共同体、集団、集合の戦闘に向けたメッセージが個人に伝達される。
戦争を消滅させる最も手っ取り早い方法は、言語をなくすか、言語を共通化することである。
言語が共通化され、外部の族とのコミュニケーションが密になれば、おのずと外部共同体との戦争行為は消滅する。

インターネットによる地球規模のコミュニケーション形態の変化は、今後の戦争に何をもたらすのだろう。
きっと、コミュニケーションが密になることにより、言語を通じた「過剰な献身」、「忠誠心」は、立ち行かなくなる。
英語を共通言語とし、コミュニケーションがN対Nで、個人間で自由に行えるようになったとき、戦争行為は消滅するもかもしれない。
個人間、N対N、P2Pコミュニケーションは従来の共同体、集団を破壊する。
洗脳された個人であっても外部との接続を密にすることにより、自己の破壊と脱洗脳が可能になるのかも知れない。

戦争行為をなくすためには、人間が生来的に備えている「過剰な献身」、「忠誠心」を破壊することが必要なのかも知れない。




目次  <<前へ 次へ>> 
オクノ総研 |MailBBShttp://www.junokuno.com/

My追加
孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

リンク、引用はご自由にどうぞ。@your own risk
当サイトの内容は筆者が勤務している企業の見解とは無関係です。