斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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アーサー・ケストラーによると、戦争行為は「過剰な献身」によって生まれるのだそうだ。
人間はどの動物よりも生まれてから長期間、無力である。 成人するまで親や社会からの庇護を必要とする。 人間は出生から幼児期、成人するまでの間、全面的に外部に頼らざるを得ない。 こうした人間の持つ外部に対する依存性が、個人や集団によって統御された権威や教義、道徳規範に服従、盲従、洗脳に近い状態をもたらす。 洗脳された個人は自分の属する国家、集団に「過剰な献身」を行うこととなる。 僕は希望して日本人に生まれてきたわけではない。 両親を選んで生まれてきたわけでもない。
戦争行為は、外部に対する闘争本能や攻撃性から生まれるのではない。 部族的信条や神聖なる戒律、政治スローガンに対する「過剰な献身」、「忠誠心」から生まれる。
旧日本軍は「鬼畜米英」に対して、憎しみから戦ったのではない。 「天皇陛下万歳!」と叫んで、戦い、死んでいった。 北朝鮮の人民は、もともと日本に対して悪意を持って生まれたというわけではない。 金正日という個人、主体思想に対して「過剰な献身」、「忠誠心」を見せているだけである。 そこには個人的な恨みや、闘争本能、攻撃性は見られない。 偶然生まれた国に対する忠誠心などもともとはなかったはずだ。 地理的にたまたま生まれた国だ。 誰かが勝手に引いた国境線だ。 宗教や戒律だって、その地理的、気候的、地政学条件によって生まれた偶然の産物だ。 偶然生まれた国や集団に対する「過剰な献身」、「忠誠心」。
戦争行為は、フロイト的な抑圧された闘争本能の発露ではない。 自分が所属する集団、族に対する「過剰な献身」「忠誠心」から生まれる。 外部からではなく、内部から外部に向けて闘争、戦争は生まれる。
人間は自分の所属する共同体、集団、集合に盲目的に従う。 それは、人間の性である。
そして、その「過剰な献身」、「忠誠心」を利用した命令は「言語」を通じて行われる。 教義であったり、政治スローガンであったり。 「言語」を通じて共同体、集団、集合の戦闘に向けたメッセージが個人に伝達される。 戦争を消滅させる最も手っ取り早い方法は、言語をなくすか、言語を共通化することである。 言語が共通化され、外部の族とのコミュニケーションが密になれば、おのずと外部共同体との戦争行為は消滅する。
インターネットによる地球規模のコミュニケーション形態の変化は、今後の戦争に何をもたらすのだろう。 きっと、コミュニケーションが密になることにより、言語を通じた「過剰な献身」、「忠誠心」は、立ち行かなくなる。 英語を共通言語とし、コミュニケーションがN対Nで、個人間で自由に行えるようになったとき、戦争行為は消滅するもかもしれない。 個人間、N対N、P2Pコミュニケーションは従来の共同体、集団を破壊する。 洗脳された個人であっても外部との接続を密にすることにより、自己の破壊と脱洗脳が可能になるのかも知れない。
戦争行為をなくすためには、人間が生来的に備えている「過剰な献身」、「忠誠心」を破壊することが必要なのかも知れない。
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